(財)DRC研究参事
長 谷 川 孝 一
まえがき
2001年に入り集団的自衛権の行使問題がにわかにクローズアップされて来た。これはブッシュ政権の誕生により、日本に対する役割分担の要求が厳しくなり、これまでに象徴的な説明としてよく用いられた「公海上で米艦は日本艦を助けるが、日本艦は集団的自衛権の行使が禁止されているから米艦を助けられない」という状況の改善が求められるとの予測から、学者や評論家、政治家がこぞって取り上げ始めたものである。小泉総理大臣も4月27日の初記者会見で、米軍と自衛隊が公海上で共同訓練を実施している際に、米軍が他国の軍隊に攻撃を受けた場合、自衛隊が何もしないということができるかと述べ、今の憲法解釈を尊重するけれど、今後あらゆる事態について研究する必要があると指摘した。首相は5月14日の衆議院予算委員会でも、憲法改正が望ましいとしつつも、同様主旨の答弁をしている。今後この集団的自衛権問題に焦点が当てられ、憲法第9条に関する論議が活発になると思われるので、これについて考えてみたい。
1.集団的自衛権の概念
国際連合憲章では、侵略行為があった場合は、安全保障理事会が武力の行使を含む必要な措置をとることになっているが、緊急を要する場合の措置として、第51条の中で、次のように規定されている。
「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」
この憲章には集団的自衛権という用語の定義はない。日本国政府の解釈は次に示す@のとおりであるが、国際的に広く理解されているAの解釈とは微妙な差異がある。
@日本政府の解釈(56.5.29衆議院稲葉誠一議員質問主意書に対する答弁):国際法上、国家は、集団的自衛権即ち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにも拘らず、実力をもって阻止する権利を有しているものとされている。
A国際社会での一般的解釈:オッペンハイム・ローターパハト教授は、その著書「International Law(1952)」の中で、集団的自衛権とは、「武力攻撃を受けた国が自国と密接な関係にあり、その密接な関係ゆえに、その攻撃が自国に対するものと認められた場合に、攻撃を加えた国に反撃を行うことができる権利」と定義している。
田畑茂二郎教授は、その著書「国際法講義(下)(1985)」の中で、「自国が直接攻撃を受けなくても、自国と連帯関係にある他国が攻撃を受けた場合にはそれを自国自身に対する攻撃とみなし、反撃することができる権利」としている。
@とAの差異は、他国への攻撃を「自国への攻撃と見なす」と明記するかしないかにあり、Aは国際的に広く理解されている解釈である。ちなみに、NATO条約では「締約国は、ヨーロッパ又は北アメリカにおける1又は2以上の締約国に対する武力攻撃を、全締約国に対する攻撃とみなす」としている。
2.集団的自衛権の行使と憲法の関係
(1)行使は許されないとする解釈(政府見解)
政府は、昭和56.5.29衆議院稲葉誠一議員質問主意書に対する答弁書において、次のような解釈を示している。
「国際法上、国家は、集団的自衛権即ち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにも拘らず、実力をもって阻止する権利を有しているものとされている。
わが国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている」
(2)行使を可能とする解釈
近時、現憲法の下で行使を可能とする主張が増大しつつあるが、その解釈は、要約すれば概ね次のようなものである。
「集団的自衛権は、国連憲章で認められた国家固有の権利であり、それを使うか使わないかは、その国の政策判断に拠るべきであって、法律上の問題とは性格が異なる。主権国家として当然有するとしながらも、憲法上行使は許されないとする政府の解釈は、国会対策上の要請に応えた極めて政治的な判断の産物である。個別的自衛権と集団的自衛権は一体不可分のものであり、憲法論的には自衛権を認めるか認めないかの何れしかない。政府見解は法理に反し国際常識に背馳している」
田中啓二郎氏は、その著書「異議あり憲法解釈(1997)」の中で、政府の定義が「自国が直接攻撃されていないにも拘らず」となっていることに着目し、集団的自衛は他人事であって、日本の安全に直接関係する個別的自衛とは質的に違い、言わば「他衛」とでも認識しているのではないかとの疑念を表している。
また吉原恒雄教授も「防衛研究第20号(1996)」の中で、「自国が攻撃されていないにも拘らず」を入れることによって、あたかも自国の安全に関係ない事態へも武力行使ができることを認めた権利であるかのような印象を与えることによって、集団的自衛権を個別的自衛権から切り離すことの非を問うている。
田中氏と吉原教授の意見は、日本国憲法が国際法上の自衛の概念をそのまま取り入れているのなら理解できるが、政府の見解はそこがまるで違っている。政府は自衛権発動には3つの要件があるとし(参議院予算委員会への提出資料1972.1.14)、その中に諸外国と異なり「必要最小限」という制約を設けた。集団的自衛権どころか、個別的自衛権にも憲法上の制約があるとしているのだ。これについての政府の認識は、参議院予算委員会(1956.3.9)における、次のやりとりによく表れている。
「中山福三君:国際法上の慣行になっておる自衛権というものと、日本の憲法上の自衛権というものは違うと、こう承っていいですか。
政府委員(林修三君):これは憲法上の解釈は、憲法という国内法でありまして、必ずしもこれを国際法上の自衛の観念、或いは自衛権の普通の考え方と合わせなければならぬというものではないと思うわけであります」
政府が「必要最小限」というわが国独自の制約を設けるのは、憲法第9条第2項に、陸海空軍その他の戦力を保持しないと明記してあるからだ。近時、第9条の下でも諸外国が持つ自衛権(集団的自衛権を含む)と同じ権利が行使できるという解釈が勢いを増しつつあるが、日本国の行動がいかにあるべきかと、法律がいまどうなっているかとは峻別して論じる必要がある。この意見に従えば、9条2項の「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」の意味は「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、(自衛のため)これを保持する」と同然ということとなり、一般国民の理解を得るのが困難であるばかりか、世界の信用をも失う。政府は現憲法のもとでは陸海空軍を保有することはできないとしている。にも拘らず自衛隊を合憲とするのは、自衛隊が実施する「自衛」は国際法上の「自衛」の観念と異なり、必要最小限に局限されているから陸海空軍その他の戦力には当たらないとしているからだ。政府がこのようにして憲法上の窮地を凌いでいる事実を、識者は再度認識する必要がある。日本政府が集団的自衛権を合憲と認めるには、9条2項に拘らず、日本国は「必要最小限」ではなく「普通の国と同じような」自衛権を行使し国際協力も行う陸海空軍を保持できると、これまでとは180度異なった解釈を内外に表明する必要がある。そのようなことをすれば日本が国際的信用を失うのは必至だ。集団的自衛権問題の解決には、時間がかかっても憲法を改正するしか道はない。現実問題としてそれまでの間をどうするかについて、これから考えることとしたい。
3.想定される各種事態と集団的自衛権の関係
日本国による集団的自衛権の行使が、どのような場合に必要となるかについて、米国との関係を中心に、具体的に見てみよう。
(1)防衛出動事態(日本に対する武力攻撃がなされる場合)
わが国に対する攻撃に際し、日米防衛協力の指針(ガイドライン)に基づき日米共同作戦をもってこれを排除する行為は、米国にとっては集団的自衛権の行使であるが、日本にとっては、例え結果的に米国の人命財産を守ることになっても、これは個別的自衛権の行使である。
一般的には、防衛出動が下令されている状況下において、米国を支援するために集団的自衛権の行使が必要となることはない。日米共同作戦の中で部分的に自衛隊が米軍を守る場面があっても、それは日本防衛のために個別的自衛権を行使する活動の中の一環である。
(2)周辺事態
周辺事態法では、事態に対する対応措置の実施は、武力による威嚇又は武力の行使に当たるものであってはならないことになっている。またガイドラインにおいても、日本の諸活動は基本的には集団的自衛権の行使を必要としない範囲に納められている。しかしながら、これが現実に運用される場合に軍事的不合理が生じないかどうかについては、改めて検討してみる必要がある。以下、生起し得る事態について考えてみたい。
a.朝鮮半島事態
第2次朝鮮戦争が生起し在日米軍が全面的にこれに参戦する事態を想定する。この場合米国は日本に対し、ガイドラインに基づく支援を要請するほか、状況によっては日本の基地から直接戦闘に参加することの事前協議を求めて来るであろう。これに対し日本は戦闘が直接日本に及ぶ場合をも考慮しつつ、相応の対応措置をとることとなろう。その中で武力の行使へと発展する可能性があるケースについて検討を加える。
(a)ガイドラインに基づく米軍への支援活動
ガイドラインに定められた米軍への支援活動(後方地域支援、捜索救難活動等)は、基本的には、戦闘が予想される区域では実施されないことになっているから、武力の行使が行われることはない。しかしながら実際問題として自衛のため武力を行使せざるを得ない場合は起こり得ると考えられる。それは例えば、日本周辺海域における捜索・救難活動及び公海上で輸送活動に従事中の自衛隊の航空機・艦船に対し攻撃が加えられた場合である。この場合の反撃は、あくまで正当防衛又は個別的自衛権の行使であり、集団的自衛権とは関係ない。
(b)自衛隊による米軍機の防衛
日本の領域又は近傍の公海上空において、日本の基地から出撃又はこれに帰投する米軍機を、自衛隊の要撃機又はミサイルによって防衛する場合があり得る。当該空域に来襲する侵攻機がある場合は、これが米軍機を攻撃するのかわが国を攻撃するのかは現実には予測できないから、わが国としては個別的自衛権に基づき、武力を持ってこれを阻止することとなる。これはガイドラインでいう「日本に対する武力攻撃の事態」に発展した事態である。
(c)公海上における艦船等共同防衛
周辺事態としての取り決めはないが、東シナ海及び日本海における海上交通の安全を維持するため、日米が新たな共同作戦を実施することが考えられる。日本政府が主唱若しくは同意して実施される筈のこの作戦は、集団的自衛権の行使を必要としない範囲に限定される。本作戦に従事する艦船・航空機は攻撃を受ける場合は共同してこれに対処する。これはあくまで正当防衛又は個別的自衛権に基づくものである。巷によく言われる「米艦は自衛艦を防衛するが、自衛艦は米艦を防衛できない」という事態は起こり得ない。共同防衛が実施できないような共同作戦は、訓練も含め、もともと計画される訳がないからだ。
b.台湾事態
中国と台湾の間に紛争が生起し、米国が台湾の防衛に当たる事態を想定する。この場合も米国は朝鮮半島事態のときと同様に、日本に対しガイドラインに基づく米軍への支援と直接発進のための事前協議を要請して来るであろう。これに対し日本は、紛争内容により支援に積極的な場合と消極的な場合が考えられる。集団的自衛権の関わりを見るには、積極的な場合を考えれば足りる。
(a)ガイドラインに基づく米軍への支援活動
基本的には朝鮮半島事態の場合と同様である。
(b)自衛隊機による米軍機の防衛
これについても朝鮮半島事態の場合と同様なことが言えるが、戦力的に自衛隊の能力が及ばない場合が考えられ、下地島民間飛行場の活用等特別な措置を講じない限り、個別的自衛権の実効的行使もおぼつかない。
(c)公海上における艦船共同防衛
この場合も基本的には朝鮮半島事態とまったく同様である。ただ台湾事態の場合は朝鮮半島と異なり海峡を跨ぐ戦いが主となるので、公海及びその上空において艦船を取り巻く戦闘が多発し、これに日本の艦船・航空機が巻き込まれる恐れが生じる。
この事態における自衛隊の活動は基本的にはガイドラインに基づく後方地域支援が中心であり、艦船・航空機による共同作戦が行われることはない。公海における船舶の安全が脅かされた場合に限り海上交通保護のための日米共同作戦が行われようが、これはガイドラインでは周辺事態ではなく日本に対する武力攻撃の事態に区分されており、個別的自衛権の発動であって集団的自衛権とは関わりない。共同作戦が行われる以上は相互防衛が基本であり、自衛艦が米艦を防衛しない状況は考えられない。
(3)国際協力
1992年に制定された国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(PKO法)においては、業務の実施にあたっては武力による威嚇又は武力の行使を行ってはならないことになっている。同法はその施行に当たり、武力紛争の停止状況の監視や緩衝地帯の巡回、或いは通行人の武器の検査等、状況によっては武器使用の恐れがある活動を、別に法律で定めるまでの間凍結することとしている。このことを集団的自衛権の行使禁止のためと見る向きがまま見られるが、それは違う。同法は必要最小限度の、正当防衛・緊急避難的な武器の使用を認めた上で構成されており、一部凍結の理由は、国会論議で、国外において武力の行使に当たる応戦がなされる恐れを払拭できなかったため、政治的に妥協して一時的に凍結したものである(衆議院国連特別委員会1990.10.30工藤法制局長官答弁参照)。
(4)結 論
以上見てきた範囲では、現行法に基づく諸活動においては、集団的自衛権の行使ができないために不都合が生じるケースは普通には考えられない。巷にささやかれる「米艦は自衛艦を助けるが、自衛艦は米艦を助けられない」という事態は幻想に過ぎない。
4.集団的自衛権行使論の検討
日本国が集団的自衛権を行使できるようにすべきだとする意見は、日を追って強まっている。しかしながらその実現は、先にも述べたように憲法との係わりで容易ではない。そこで集団的自衛権の行使がいかなる理由で主張されているか、いくつかの意見について具体的に見てみよう。
(1)岡崎氏の意見
岡崎研究所の岡崎久彦氏(元駐タイ大使)は雑誌SAPIO 1995.12.6において、次のように述べている。
「朝鮮半島で戦争が起こり、日本海をアメリカの駆逐艦と日本の駆逐艦が並んで走っていたとする。日本の艦が攻撃されれば、アメリカの艦はすぐ日本艦を支援する。ところがアメリカ艦が攻撃されても、集団的自衛権がないから日本艦は助けに行けないのである。アメリカの駆逐艦がやられたら、敵は、次はこちらに向かって来ると分かっていても、何の対応もできない。こんなばかげた話はない。
この集団的自衛権の問題について、今のところ米民主党政権はこれを見直せと言ってはいないが、もしこれが共和党政権に変わったら、分からない。日本はいずれこの問題に取り組んで解決しないと、長期的に日米同盟は維持していかれないのではなかろうか」
これは集団的自衛権の必要性を説くために述べられたものと解するが、この状況設定は、いささか杜撰過ぎる。自衛艦の行動は常に合法的命令に基づき実施される。本状況は防衛出動が命令されているか、或いはそれを予期したうえでの日米共同作戦命令に基づく行動であると解される。周辺事態法に基づくものであれば、特殊な場合を除き、両国駆逐艦が並走することはないからだ。朝鮮半島事態の項で述べたように、このような場合あらゆる攻撃に対し個別的自衛権に基づき共同防衛がなされる。軍事常識から言っても、並走する日米駆逐艦は攻撃を受ける前にこれを阻止する活動を行うが、攻撃が日米何れの駆逐艦を狙っているかは事前に分かるものでないから、両者が共同で対処するのは当たり前だ。岡崎氏の示したこの状況は、集団的自衛権の必要性を説くものとしては不適切である。
(2)アーミテージ・レポート(INSS Special Report, Oct.11.2000)
国防副長官アーミテージ氏は、その職に就く前の2000年10月、「日米の成熟したパートナーシップに向けて」と題した報告書を発表した。同報告は安全保障の項で、新ガイドラインは日本が太平洋地域でより大きな役割を分担することになったと認識しつつも、集団的自衛権の行使禁止が日米協力に縛りをかけているとしている。そしてワシントン(米政府)は日本がより大きな貢献を為し、対等なパートナーになることを歓迎する旨明確に表明すべきだと提案している。これは国際テロ事案やPKO・PKF活動における日米共同対処を念頭に置いた指摘のようであるが、具体的に集団的自衛権がどう係わるかの説明はない。これについては後のフォーリー氏の意見の項で再度触れる。
(3)米高官発言(産経新聞 2001.4.30)
産経新聞は4月30日の朝刊で、ブッシュ政権のアジア政策に係わる政府高官が4月28日、日本の集団的自衛権問題について、次のように発言したと報じている。
「日本が集団的自衛権の行使禁止を続けるか、憲法の解釈変更で禁止を解除するか或いは憲法改正で解除するかなどはあくまで日本が自主的に決定する問題だ。しかし同盟関係の下での今後の日米間のより緊密な、より望ましい安保協力にとっては、現在の日本が集団的自衛権を保有はするが行使はできないという状態は妨げになる。日米同盟による今後の有事など安全保障上の米側が望む協力態勢は、日本が集団的自衛権を行使できない状態のままでは実現できない。ブッシュ政権としては小泉純一郎新首相の集団的自衛権を行使できるようにする取り組みを大いに歓迎する」
この発言はアーミテージ・レポートの線に沿ったものである。より緊密なより望ましい安保協力が何を指すのか具体的にははっきりしないので断言はしかねるが、PKO・PKF活動の類であれば、後で述べるように大した問題ではないし、「日本艦が米艦を防衛できない」と認識して米側が望む日米協力態勢が実現できないというのなら、先に検証したようにそれは大いなる誤解に基づいていると言わざるを得ない。もし武力行使を伴う多国籍軍への参加までを指しているのなら、今日本で議論され小泉首相も取り上げようとしている集団的自衛権問題とは距離があり過ぎる。
(4)トーマス・フォーリー前駐日米大使発言(産経新聞 2001.5.25)
産経新聞は5月25日の夕刊で、フォーリー氏が24日ワシントンにおいて日本人記者団と会見し、集団的自衛権に触れて、次のように発言したと報じている。
「集団的自衛権行使を憲法の改正で実現するか、解釈変更で実現するかなどは日本自身が決めることだが、私の見解としては日本の国連等を通じての平和維持活動(PKO)の効果的実行という観点からしても集団的自衛権の行使禁止を解除することは歓迎する。現状での日本の国際的平和維持活動への参加には厳重すぎる条件がつけられ、そんな条件をつけて実施できる平和維持活動など実際には存在しないくらいだ」
氏の後段の意見に焦点をあてると、これは全くそのとおりだ。国会は国際協力の必要性を認めてPKO法を制定した。この法律は、実施すべき国際平和協力業務として17項目を挙げているが、このうち、武力紛争の停止状況や武装解除履行の監視、或いは緩衝地帯の巡回、通行人の保有する武器の検査等、国際的に最も必要とされる6つの項目(いわゆる本体業務)を、同法の附則で別に法律で定める日までの間凍結しているのである。PKO業務のうち容易なものだけを引き受け、危険性のあるものは避けている日本に対し不満が募るのは当然だろう。PKO法でなぜ本隊業務を凍結したかというと、海外における武力行使に発展する恐れがあるとの主張を一部認めてやらないと法案を成立させ得なかったからだ。本隊業務は基本的には集団的自衛権とは無関係であるので削除されずに残された。フォーリー氏は前段で、この問題の解決は集団的自衛権の行使禁止の解除が必要と認識しているようだが、それは誤解である。
5.集団的自衛権問題の解決法
(1)日本の役割
日本は安全保障面で、次の役割を担う必要がある。
@自らの国は自らの力で守ること
Aアジアの平和と安定の要石となること
B世界各地の紛争解決及び平和の維持に貢献すること
この役割を果たすには、普通の国と同じような軍隊を保有して、@自国の防衛を全うして自らが不安定要因とならないこと、A地域的安全保障機構における役割を分担すること、B国連軍及び多国籍軍に参加し応分の貢献をすること、C国際連合平和維持活動等に協力することが必要である。
(2)日本の軍事能力と憲法
日本は前項に挙げた日本の役割を果たすために必要な軍事能力を、物理的には保有している。しかしながら第2次大戦後諸外国に対し、憲法に陸海空軍を持たないと明記したことをもって平和国家の証として来た。それゆえに海外で武力の行使ができないのだ。本稿第2項で述べたように、日本政府が今になって憲法の解釈を変更することは、これまで嘘をついていたことになるので実際上不可能である。情勢の変化を理由に集団的自衛権を行使できるようにするには、時間はかかっても憲法改正以外に道はない。それでは改正までの間をどうすればよいのか、そのことを次に考えてみよう。
(3)当面の現実的解決法
本稿第3項及び第4項で見たように、わが国周辺で生起する可能性のある諸事態と国際協力活動の面で、集団的自衛権の行使を必要とするケースは、多国籍軍へ参加するとき以外はないと考えられる。従って憲法改正により全てがクリアーされるまでの間は、次の処置で米国を始め世界各国の理解が得られると思われる。
@実態に即したケーススタディを実施して、集団的自衛権の行使がどのような場合に必要なのかを明らかにし、憲法上現在は何ができて何ができないかを内外に示す。
A日米共同作戦において米艦を助けられないような状況は起こり得ないことを実態に即して説明し、両国間の信頼を築く。
BPKО法の部分凍結を解除して、国際貢献の内容を充実させ、国外における武力行使についての憲法上の制約を、実態に即してよく説明し、諸外国の理解を得る。
C国連軍及び多国籍軍へ参加して諸外国と同様の貢献ができるよう、憲法の改正を目指すことを表明する。