イランの核兵器開発の動向
(財)DRC研究参事
大島 紘二
はじめに
1987年にイスラエルの元核技術者モルデカイ・ヴァヌヌが地下核兵器工場の実態を明らかにして以降、イスラエルは事実上の核兵器国として認識されている。それから約10年経った1998年5月にインド・パキスタン両国が相次いで核実験を実施して、それぞれ第6番目及び第7番目の核兵器保有国となったことを宣言した。次に核兵器を取得する国はどこであろうか。ここでは、次に核兵器を取得すると思われる国の一つであるイランに焦点を当てて、その核兵器開発の動向について概観する。
1.戦略的環境
イランは、西に西アジアの覇権を争ったイラクがあり、東は既に核爆発実験を行ったパキスタンと国境を接し、北はカスピ海を介してロシアとの国境があり、南には米国の強力な海軍が常時航行するアラビア海とペルシャ湾を介して強大な米軍基地が存在するサウジアラビアが存在するという地理的な位置関係にある。更には、アラブ共通の敵であり事実上の核兵器保有国であるイスラエルが、1,000km離れて存在する。また、1979年のホメイニ革命を契機として米国と国交断絶状態に入り、米国が主導する国際的な孤立状態が続いている。
イランは次のような軍備管理に関する国際社会に参加している。1964年に部分的核実験禁止条約の締約国となり、1967年には宇宙条約に調印した(宇宙条約は批准していない)。1970年には核兵器不拡散条約の締約国となり、かつ、同条約に基づき国際原子力機関との間で保障措置に関する協定を締結している。更に、1971年には海底核兵器禁止条約の締約国となった。しかしながら、ワッセナー・アレンジメント、ミサイル技術管理制度、原子力供給国グループ、核兵器に関するザンガー委員会、イスラム諸国会議機構からは排除されている。
2.天然資源と工業力
(1)天然資源
イランは、石油の大産出国である。1999年末で石油の埋蔵量は930億バレル、天然ガスも25兆m3埋蔵していると言われる。イラン高原にある砂漠地帯には埋蔵量5,000tと推定されるウラン鉱床がある。鉄鉱石の埋蔵量も12億tと推定されており、銅鉱石・亜鉛鉱石・鉛鉱石は比較的豊富にある。なお、トリウム、希土類、ベリリウム、リチウム資源は明らかでない。
(2)基礎工業力
石油の産出量は379万バレル/日、精製能力は152万バレル/日である。油田探査・油井窄掘・石油精製装置は当初外国の投資・技術支援を受けて製造されたが、近年は自国産の装置に切り替えつつある。天然ガスは900億m3/年産出していると言う。
石油化学製品も、塩素24万t/年、アンモニア142.2万t/年、尿素175.8万t/年、硝酸38.6万t/年、硫酸96万t/年、硝安25.4万t/年、苛性ソーダ3.3万t/年、燐酸24万t/年製造されている。
電気・電子工業も開発途上国以上の製造能力がある。
(3)原子力の研究開発機関
核兵器開発に際して理論的研究の中心は、テヘラン原子力研究センターとエスファハーン原子力技術センターである。
テヘラン原子力研究センターは公式には研究施設と称しているが、核兵器関連物質の製造も担当しているとの報道がある。この研究センターには出力5MWeの米国製研究炉があり、1980年代に燃料をアルゼンチン製の20%濃縮ウランに交換した。公式にはその原子炉を使用して放射性同位元素を製造していると言う。プルトニウム抽出工場があると言う報道もあるが、それを否定する報道も複数ある。サバム鉱山複合体又はヤズド大学原子力部でウラン鉱石を精錬した粗製ウランを加工する工場があり、イェローケーキの製造施設の存在を示す証拠があるものの、その施設はここ暫くの間使用されていないと言う報道がある。仮にここでイェローケーキを製造しているとすると、その製品はファーサ/ルダン研究センターに送られて六フッ化ウランにし、それをモアラム・カライェー製造施設に送られて原子炉用濃縮ウランに加工されることになろう。いずれにしても、この原子力センターは原子力に必要な資材製造の中枢と思われる。また、同所にあるイブネ・ハイサン・レーザー技術研究センターでは、レーザー法によるウラン濃縮とともに慣性封じ込め法による核融合の研究を行っていると言われている。
エスファハーン原子力技術センターは、アヤトラ・ホメイニ政権がイラン・イラク戦争の最中の1984年に、原子力研究に対する強い意欲を持って新しく創設した研究施設である。表面上は研究センターとなっているが、実体は偽装された核兵器開発の中心的な機関と思われ、従業員は約3,000人と言われる。ここには出力27kWの中国製小型中性子照射炉、零出力重水炉及び準臨界炉2基と研究炉が4基ある。更に、ここにはその他に出力27MWのプルトニウム製造炉もあるとの噂がある。それは出力27kW中性子照射炉のことを、混乱して出力27MWと取り違えたのではないかとも言われているが、最悪のケースとしてプルトニウム製造炉があるとして見積るべきであろう。また、中国製のカルトロン(電磁法によるウラン濃縮器材の器材となりうる)がある。そのカルトロンには器材の耐蝕性からみてウラン濃縮能力がないと言われているが、少なくとも医療用の放射性同位元素を製造していることは明らかである。ウランを六フッ化ウランに転換する施設があるとの説もあるが、ここではなくファーサ/ルダン原子力センターにウラン転換施設があると考える方が自然である。また、ジルコニウム製造施設もあり、ここでは原子炉用燃料棒被覆用のジルコニウム管が製造されていると言われている。
また、レーザー研究センターと理論物理・数学研究センターもあり、レーザー研究センターは原子法によるウラン濃縮の研究、理論物理・数学研究センターでは高エネルギー物理学・素粒子物理学・理論核物理・統計力学を使った理論解析によって核兵器の開発に重要な役割を果たしていると言われている。この他に、ブシェール原子力複合体、ゴルガン・アル・カビル原子力センター、タブリズ研究所、ボナブ原子力研究センター等が原子力の開発に携わっている。
(4)原子炉
イランは1967年に米国から5MWの研究炉を導入して以来、民需用原子力発電所建設に向けて着実に努力している。1975年にはイラン原子力エネルギー機構を設立して西ドイツのジーメンス社やフランスの会社の協力を受けてブシェールに原子力発電所の建設を開始した。しかし、1979年のイスラム革命が起こって工事が中断となり、その後のイラクとの戦争中攻撃を受けて破壊された。戦争終了後工事再開についてドイツに打診したが、1991年6月軍事的利用の可能性があるとして再開は拒否された。 その後、紆余曲折を経て1995年1月ロシアとの間で跡地にロシア製軽水炉2基を建設することで契約が成立した。2003年12月にはその中の1基が稼動する予定だと報じられている。その他、中国から数基の小型研究用原子炉が導入されたとの報道があり、民生用とは言えこうした地道な原子炉及びその建設・運転技術の導入が欧米諸国特に米国に核兵器開発への疑念を深める結果となっている。
別表 イランで運転・建設・計画中の原子炉
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名称・所在地 |
形式・能力 |
完成時期 |
IAEAの保障措置 |
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テヘラン大学研究炉 テヘラン |
軽水炉、HEU(20%) 5MWt |
1967年 1980年頃改修 |
あり |
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エスファハーン原子力技術センター |
中性子照射炉、HEU(900g)、27kWt |
1969年 |
あり |
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エスファハーン原子力技術センター |
HWZPR、小型零出力炉、重水炉、天然ウラン |
運転中? 中国提供 |
なし |
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エスファハーン原子力技術センター |
LWSCR 軽水未臨界炉、LEU |
運転中? 中国提供 |
なし |
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エスファハーン原子力技術センター |
GSCR、重水未臨界炉、 天然ウラン |
運転中? 中国提供 |
なし |
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ブシェール1号炉 ブシェール原子力複合体 |
VVER−1000、LEU 1,000MWe |
2003年5月予定 |
予定 |
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ブシェール2号炉 ブシェール原子力複合体 |
VVER−1000、LEU 1,000MWe |
2007年予定 |
予定 |
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タバス原子炉 |
不明 |
未確認 |
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仮称 ネッカ1号炉 ネッカ基地 |
ロシア型、LEU 400MWe、地下原子炉 |
未確認 |
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仮称 ネッカ2号炉 ネッカ基地 |
ロシア型、LEU 400MWe、地下原子炉 |
未確認 |
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イランには、確認されている研究炉等が5基、建設中の発電用原子炉1基、計画中の発電用原子炉1基あり、未確認の原子炉存在情報が3基ある。これらの原子炉はいずれも完成品を輸入して組立てたものである。イランで運転・建設・計画中の原子炉は、別表のとおり。
3.イランの核兵器開発の動機と核兵器取得への道
イランが核兵器開発を行う動機には次の4点が考えられる。@イラクの通常戦力及び大量破壊兵器に対する抑止力を確保する。A米国の西アジアに対する影響力を減殺する手段を確保する。Bイスラエルの核兵器及び通常兵器への対抗手段を確保する。Cアジアの大国としての象徴として保有する。
第1の対イラク抑止力については、次のような経緯が考えられる。イランとイラクとは西アジアの覇権を巡り、過去幾度か合い争ってきた仇敵である。また、1980年9月から1988年7月まで続いたイラン・イラク戦争を通じて化学兵器の応酬があった。湾岸戦争終了後のUNSCOMが行ったイラクの大量破壊兵器に関する査察を通じて、イラクが化学兵器のみならず核兵器及び生物兵器の製造を計画していたことが明らかとなった。こうしたことから、イラクよりも優れた兵器の開発、即ち、核兵器開発に向かうことは自然の成り行きだろう。
第2点の対米戦略は、次のような経緯が考えられる。2001年9月11日の米国における同時多発テロをきっかけにして、米国はアフガニスタンに侵攻したが、その結果パキスタンや旧ソ連邦の構成国であったタジキスタン・トルクメニスタン等に事実上米軍基地が建設された。このため、西アジアに対する米国の影響力が格段に強くなった。この地域は世界的な石油産出地帯であり、主要産業が石油産業であるイランにとっては重要な問題である。また、1979年以降米国による一方的な経済制裁を受けており、何らかの形でこの制裁を打開する方策が必要である。このような西アジアにおける米国の影響力を減殺する手段として核兵器は十分な価値がある。
第3の対イスラエル戦略は、次のような経緯が考えられる。イスラエルは中東における最も強大な通常戦力を持つ軍事国家である。また、イスラエル自身は核兵器の保有を曖昧にしているが世界各国はイスラエルが実質的な核保有国であると認めており、シャロン政権が最近パレスチナに対して世界世論を無視した強気の行動に出ている背景には、この通常戦力と核兵器があるものと思われる。このイスラエルの核兵器に対抗する手段として核兵器を持つことは、アラブ世界共通の目標であり、イスラム諸国会議機構に加盟していないイランにあっても当然のことであろう。
最後に、核兵器が出現して以降、核兵器は国際社会における大国としての象徴である。イランは、何かと国際社会から疎外されているが、こうした環境を打開する手段として、核兵器の保有を試みることは自然であろう。
イランが核兵器を取得する道には@旧ソ連邦構成国からの核兵器の不正な取得、A密かに核原料物質等を海外で取得して自国内で開発、Bロシア及び中国等の支援を受けて自国で開発、Cすべて自国で開発する、の4つが考えられる。
1992年にソ連邦の後継国として、ロシアが核拡散防止条約上の核保有国として認められ、それまで核兵器が配備されていたベラルーシ・カザフスタン・ウクライナは非核保有国となった。この結果、旧ソ連の核兵器をすべてロシアに輸送してロシアが一括管理することとなったが、ロシア国内の混乱が長く続きその管理能力に疑問を持たれており、一部分が行方不明になったとの噂が飛び交った。そして、行方不明核兵器の一部分がイラン・イラク・パキスタン等に流れているのではないかとの憶測が生まれた。
インド・パキスタン・イスラエル等実質核兵器保有国は、核兵器の原料物質や製造装置を取得して、それを基にしてリバース・エンジニアリングにより自国の技術を確立して、核兵器を開発したと言われている。特に、旧ソ連邦構成国では核兵器が削減され、核兵器の原料物質及び製造装置ならびに核技術者が余り、こうした物資・技術者が闇市場に出回りつつある。現実に、ヨーロッパ諸国の税関で、闇市場の物資が押収されたという記事が新聞紙上をにぎわしている。そこで、イランにも闇市場から流入することが考えられる。
ロシアと中国とは、イランと原子力協定等を結び平和目的のための原子力開発に協力している。ロシアとの関係では、1992年にイランの技術者がカザフスタンの核兵器関連の金属工場を訪問し、1995年1月にはロシア・イラン原子炉等の供給協定を、1995年8月にはロシア・イラン燃料供協定を締結した。1999年1月ロシア2つの研究機関とモスクワ航空研究所がイランに各技術を提供しているとして米国が当該機関を取引停止にしたことがある。中国との関係は、1980年代の半ば頃から中国が各技術情報の主たる提供者となり、1992年に中国とイランが原子炉2基の供給協定を締結し、1995年になって米国の圧力を受けて同供給協定を停止した。今後も、これらの協力が起こりうるものと思われる。
4.核兵器開発の兆候と分析
イラン政府は繰り返し核兵器開発の意図はないことを表明しきた。しかしながら、1992年に多数のイラン人がカザフスタンのウスト・カメノゴルスクにあり、高速増殖炉を運転しつつ再処理や核燃料加工を行っているウルバ金属工場を訪れたことが米国によって確認されている。「これを知った米国は、核燃料がイランに渡るのを防止するために、1995年にカザフスタンから650kgの高濃縮ウランを購入した」と1995年12月5日付の『ニュークリア・フューエル』誌が伝えている。さらに、1996年9月22日付の『ニュークレオニックス・ウィーク』誌によると1995年のロシア・イラン原子力協定により、ロシアは2,000tの天然ウランをイランに売却することを約束したと言う。こうしたことから、少なくとも1996年の時点ではウランを抽出・精錬する技術は確立していなかったものと思われる。
1996年4月17日付『ワシントン・タイムズ』紙によると、1990年頃から中国の援助を受けてイェローケーキから六フッ化ウランへの変換施設をエスファハーンに建設中であったと言う。中国の支援は、米国の強い圧力を受けて1997年3月に中断された。 しかし、必要な材料や基本的な技術は取得した可能性が高い。
1995年4月10日付の『ニュークリア・フューエル』誌は、イランの海外にある子会社が1990年以来実験室用の遠心分離機に使える釣合い試験機及びローター軸受用サマリウム・コバルト環状磁石をドイツとスイスの会社から購入しようとしていたと報じている。また、同誌1995年5月8日号は、1995年3〜4月にロシアが遠心分離機をイランに供給する協定が締結されたと報じた。ところが、同年5月10日に行われたエリツィン・クリントン会談で、ロシアはその協定を廃棄し遠心分離機を撤去することに合意した(1996年2月23日付ロイター電)。こうしたことから、遠心分離法技術の概要は修得していると思われるが、完成品の輸入を行っていることから、ジェーン研究所では六フッ化フランに対して耐蝕性のある素材を使ったローター・ヘッダー・スクーパー等重要な部分の国産は困難と見ている。遠心分離法は、モアレム・カライェー基地内にある研究所が中心となり研究しているものと思われる。
レーザー法の研究がどの程度進んでいるかに関する情報はない。しかし、ロシアが原子力機構のレーザー研究センターに提供を約束した濃縮法は原子法であったので、原子法を主体とした研究が行われているものと思われる。この方式の濃縮技術が確立するには、海外からレーザー器材・ウラン金属蒸気の発生装置等を輸入する必要があろう。レーザー法の研究は、イブネ・ハイサン・レーザー技術研究所及び原子力機構のレーザー研究センターが行っているものと思われる。
カラジ農業医学研究センターで、中国から提供を受けたカルトロンとベルギー製のイオンビーム式サイクロトロンを使った電磁法によるウラン濃縮の研究も行われているとの未確認情報もある。
1996年8月11日英国の税関が、イラン向けの遠心分離法によるウラン濃縮に使用できるマルエージング鋼を船積みしているところを発見して出港を阻止したことが明らかとなり、核兵器開発の疑惑が持ち上がってきた。これを受けるような形で、John M. Duetch米国中央情報国長官が議会で、「イランは独力で核兵器開発する能力を取得する努力を活発に行っており、特に、プルトニウムや高濃縮ウランの製造能力開発が活発である。核兵器取得期間を短縮するために、旧ソ連の国々から核原料を購入する努力も並行して進めている」と証言した。その後、1997年12月19日米国高官が「中国は、核兵器生産に利用しうる六フッ化ウラン製造プラントのイランへの売却を中止する意向である」と述べ、ウラン濃縮への試みがあることが明確となった。
1998年4月になると、イスラエルの『エルサレム・ポスト』紙が「1990年代初期にイランが旧ソ連から数個の核弾頭を受領したとするイランの文書を入手した」と報じた。同紙はまた、「イランは過去にカザフスタンから4発の核弾頭を受領し、その核弾頭は現在もロシアの専門家により保守整備されている」とも報じた。しかしながらその直後、米国国防省報道官は、「そうした証拠はない」と否定している。次いで1998年4月24日英国紙が「複数のイラン諜報員が、核兵器を製造するための物資と技術を英国内で調達しようとして逮捕された」と報じた。ここで報じられた「核兵器を製造するための物資と技術」が何を指すのかは明らかではない。
1999年1月12日バーガー大統領補佐官は「イランの弾道ミサイルや核兵器開発に協力しているとして、ロシアの3研究機関に対し米国との貿易や援助を禁止する制裁措置を米国政府から受けた」と講演した。この制裁を受けた研究機関は、電力技術科学設計研究所・メンデレーエフ化学技術大学・モスクワ航空研究所であることがその後明らかとなっている。
2000年3月チェコ政府は、「同国のメーカーがイランの原子力発電所向けに製作中の換気装置の輸出を認めない方針である」と発表した。このことは、イランが照射済み原子炉燃料を処理して、プルトニウムを抽出する虞が大きいことを危惧してのことと思われる。
2001年6月『ワシントン・ポスト』紙は、「ロシアの金属会社がウラン濃縮用ガス遠心分離機のローターに使用できる強化アルミニウムを輸出した」と報道した。その後も引続き必要な材料の購入を試みたという報道があることから、現時点ではウラン濃縮に関しては外国の支援が必要だと判断される。
原子力に関するイランとロシアとの連携は最近頓に強くなっている。2000年4月、スネジンスク(旧チェリヤビンスク)で開催されたロシア原子力省(MINATOM)幹部会の席上、アダモフ原子力大臣はイランに更に3基の原子炉を輸出する用意があることを言明した。議長を務めたプーチン大統領もこの発言を了承したと伝えられており、イランのロシアへの傾斜は最近非常に強くなったと見られている。しかしながらブシェール原子力発電所用機器を供給する予定であったチェコのメーカーZVVS社が、2000年3月7日チェコ国会下院が輸出禁止法案を可決したために輸出できなくなり、原子力開発は必ずしも円滑に進捗していない。このように、原子炉全体の建設能力はないものと思われるだけでなく、タービン発電機やその他の原子炉用機器の製造能力も十分でないものと思われる。
以上のことから、次のようなことが言える。
@ 核武装に向かっての意思は明確にある。
A 1988年7月にイラクとの戦争が終了して以後、核兵器開発に向けての努力が地道に続けられている。
B 2002年7月現在核燃料サイクルを自給自足できていない。
C 核兵器開発用の材料及び技術の大部分をロシア・中国等の外国に依存せざるをえない。
また、別の情報から、次のようなことが推定されている。
@ 核兵器開発は民生用の原子力産業と一体となり、革命防衛軍の強い影響力のもとで原子力機構が研究開発・製造体制を推進しつつあるように見受けられる。
A 核兵器開発の主体はあくまで軍の指導を受けた原子力機構であり、革命防衛軍の機関が協力する体制で進められている模様である。
B 核兵器関係会社のほとんどはイスラム財団の傘下にある国営企業である。
結 論
先に、イランが核兵器を取得する道には@旧ソ連邦構成国からの核兵器の不正な取得、A密かに核原料物質等を海外で取得して自国内で開発、Bロシア及び中国等の支援を受けて自国で開発、Cすべて自国で開発する、の4つが考えられると述べた。
ところで、「旧ソ連邦構成国からの核兵器の不正な取得」ができれば、実際に使いこなせるか否かは別として、取得できた時点で核兵器を保有することになる。しかし、1990年代と異なり2002年7月現在では、ロシア国内が比較的安定してきた。更に、米国はナン・ルガー法に基づきロシアに資金と技術の援助を行い、ロシアの核兵器の管理を強化している。このため、この方法により核兵器を取得する可能性は非常に小さい。
「密かに核原料物質等を海外で取得して自国内で開発」する方法によれば、取得できた核原料物質の種類と量により異なるが、取得後1〜3年で最初の核兵器を完成することができよう。しかし、湾岸戦争以降原子力供給国グループが、原子力関連物資の輸出規制についてロンドン・ガイドライン及びワルシャワ・ガイドラインを大幅に見直しており、この方法により核兵器を取得する可能性は小さくなった。
「ロシア及び中国等の支援を受けて自国で開発」する方法によれば、支援の内容にもよるが密かに開発する場合には5〜10年の歳月が必要となろう。現在、中国の支援は後退しているように思われるが、ロシアは平和目的の原子力利用について比較的積極的な支援を行っているように見える。今後は、インドとの関係に注意する必要があろう。
「すべて自国で開発」する方法によれば、10年程度の歳月が必要となろう。しかし、これはイランの核武装にとって最悪のケースであり、できるならば別の方法を採りたいに違いない。
そこで、「現在の状況が続けば、イランは5〜10年後には核兵器を持つ国になろう」との結論に達する。
そして、イランの資源と工業力から考えると、核兵器保有国になることは貿易規制や世界世論によって時期的には遅らせることができても、阻止することは困難だと思われる。阻止する唯一の方法は、イラン政府が核兵器保有国になることが得策でないと自覚する環境を作ることにあると思われる。