国連安保理機能の将来とわが国の進むべき方向
― 第2次イラク戦争後の対応 ―
(財)DRC研究参事
まえがき
国連の安全保障委員会(以下安保理と呼ぶ)が、イラクへの武力攻撃を容認するための新たな決議案で紛糾する中、2003年3月20日、米国及び英国は議決を待たずに攻撃に踏み切り、短期間のうちにフセイン政権を壊滅して、新たな国家建設に取り掛かった。
冷戦終結後安保理はその本来の機能を発揮するようになると見ていた多くの者が、今回の米英の行動及び安保理でこれに反対した国々の非力振りを見て、今後安保理は世界の安全保障について大きな役割を果たせなくなったとか、頼りに出来ないといった意見を口にするようになった。特にわが国では従来からの国連過信への反動も手伝って、日本の安全保障政策における安保理の位置づけについて新たな論争が始まっている。
そこで、安保理の理想的な姿と、それとは異なるこれまでの実態を再確認し、今後の安保理機能(又は能力)と冷戦後1強となった米国の行動様式を見極めて、わが国の国連政策の在り方を探ってみたい。
1.安保理の役割と任務
(1)国連の目的
第2次大戦後発足した国連の主目的は、国際の平和及び安全を維持することである。国連憲章(以下憲章と呼ぶ)第1条の1は、その目的を次のようにうたっている。
「国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争または事態の調整又は解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること。」
(2)安保理の任務と権限
国連はこの「平和と安全の維持」を安保理に委ねることとして、その任務と権限を憲章第24条に次のように示した。
「国際連合の迅速且つ有効な行動を確保するために、国際連合加盟国は、国際の平和及び安全の維持に関する主要な任務を安全保障理事会に負わせるものとし、且つ、安全保障理事会がこの責任に基づく義務を果たすに当たって加盟国に代って行動することに同意する。」「この義務を果たすために安全保障理事会に与えられる特定の権限は、第6章、第7章、第8章及び第12章で定める。」
(3)憲章で期待された安保理の理想像
安保理は紛争を仲介、調停等の平和的手段によって解決し(第6章)、平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に対しては国連軍をもって対処する(第7章)ことが規定されている。また安保理が任務を遂行している間は、総会といえども、要請されない限り紛争や事態についていかなる勧告もしてはならない(第12条)とされており、安保理はまさに国連の中核的存在である。
さて、この安保理が、国連設立後その機能を十分に発揮してきたかどうかについて、次項で見てみよう。
2.国際紛争解決における安保理の実態
(1)創設時から冷戦終結時までの活動
a.安保理への最初の提訴
安保理が初めて提訴を受けたのは、イランからであった(1946.1.19)。ソ連駐留軍がイラン領土から撤退しないで内政干渉を行っているというのが主旨。これに対しソ連は、近い将来撤退する予定になっているから紛争は存在しないと主張し、逆に、イギリス軍によるギリシャへの内政干渉を提訴し返すという具合で、安保理はスタートから大国の利害対立の舞台となった。
b.最初の拒否権行使
シリアとレバノンが、イギリスとフランスの軍隊が自国領土に駐留しているのは主権の侵害であるとして提訴(1946.2.4)、アメリカが両国の撤退を前提とした解決案を提出したが、ソ連がこれを不十分として反対投票した。これが拒否権行使の最初の例となった。
c.安保理が機能した事例
東西対立の中で、拒否権を有する国の利害に直接関らないものについては、安保理の活動が功を奏した事例もある。国連発足初期におけるインドネシアのオランダからの独立問題(1945〜49)がそれに当たる。
日本降伏(1945.8.15)の2日後に、インドネシア民族独立運動の指導者たちが独立宣言を発表したとき、宗主国オランダはこれを認めず、48年1月のレンヴィル休戦協定締結まで紛争が繰り返された。協定後の12月、オランダが再度武力制圧に出たため安保理が態度を硬化させ、翌年1月独立主権国家としてのインドネシア連邦樹立を勧告する権限を持つインドネシア委員会を作り、翌年12月の独立へと繋いだ。
これは安保理が数年間にわたり紆余曲折を経ながらも何とか成果を獲得した事例であるが、植民地の独立という世界の流れの中で、拒否権を持つ大国間の利害が大きく衝突する事象でなかったためとみられる。
d.国連軍(朝鮮戦争)
1950年6月25日朝鮮戦争が勃発、米国の要請によって直ちに安保理が開かれ、戦闘行為の中止と北朝鮮軍の38度線からの撤退及び加盟国がこの実施にあらゆる援助を惜しまず且つ北朝鮮側への援助を拒否することを決議した。これは中国代表権問題に関する抗議としてソ連が理事会への欠席を続けていた間の採決であったため実現したものであった。米国の作る国連軍総司令部のもとに各国が軍隊を差し出し、国連軍の名称で国際平和の回復を図ることが同月27日に決議された。これは憲章第7章に規定する国連軍ではないが、その名称が使用されたのはこの1回限りである。また正規の国連軍を編成できる可能性が生じた事例は、国連58年の歴史の中でただの1度もない。
e.冷戦間の安保理活動
冷戦間世界の各地で数多い紛争が起きた。48年のチェコスロバキア問題からベルリン封鎖、4次にわたる中東戦争、ベトナム戦争、ソ連のアフガニスタン介入、フォークランド戦争等々数えればきりがないが、何れも安保理が効果的に活動できる場面は生まれなかった。もちろん問題が提起され各国が意見をたたかわすことが無意味であったというのではない。国連事務総長を活用して問題解決の場が用意されるなど、解決のための側面からの努力がある程度功を奏した例もある。たとえば世界が核戦争の瀬戸際に立たされたキューバ事件でのウ・タント事務総長の努力などがそれである。しかしながら冷戦間を総括して見れば、やはり、安保理が当初期待されたような国際の平和及び安全の維持に関する中核的役割を果たしたとは決して言えない。むしろ東西の対立と大国の拒否権の存在が安保理の機能不全を恒常的なものにしていたと言うのが実態であった。
(2)冷戦終結後の安保理の機能発揮
40余年間安保理が正常に機能することを妨げてきた東西の対立が解消するや、国連はその集団安全保障体制を復活させることが出来るのではないかという期待が高まった。安保理常任理事国の意見の衝突が少なくなり拒否権の行使がなくなると見られたからだ。ちょうどそのようなときイラクのクウェート侵攻という一大事件が発生した。安保理はこれに素早く対応し、米国を中心とする多国籍軍を編成して事態の鎮圧に成功した(湾岸戦争)。
湾岸戦争において安保理は、憲章第7章の国連軍を編成したわけではない。イラクの侵略を非難した決議660を遵守させるために、決議678により加盟国に対し必要なあらゆる手段の行使を容認するという形をとった。実際に大兵力をもってこれに応じたのは米国で、その他の国々はそれに比べ小規模の部隊を派遣したに過ぎない。中東は世界平和の維持に密接に係わる地域であり、イラクの肥大化はこの地域の安定を乱すと考えられ、米国の国益を明らかに阻害するものであったからこその対応であった。
この多国籍軍による成功に目を奪われる余り、冷戦終結が安保理の機能を回復させたと見る向きが強くなった。しかしその後に起きた旧ユーゴスラビアの紛争では、自国の死活的利害が係わらない限り集団的軍事介入に参加する国は出てこないという実態も現れた。冷戦終結後拒否権の行使が見られるような場面は確かに少なくなったが、大国の利害が対立するような事態が起きれば、安保理の機能が有効に働くかどうかについては大いに疑問の余地が残っていた。
3.イラク戦争(第2次湾岸戦争)と安保理
(1)湾岸戦争
安保理は1990年8月2日、イラクがクウェートに侵攻するや直ちに決議660をもってイラク部隊の即時無条件撤退を要求した。しかしイラクがこれに従わなかったので、決議678(90.11.29)により加盟国に対し、国際平和及び安全を回復するためあらゆる必要な手段をとる権限を付与、その武力行使を容認した。米国を中心とする多国籍軍は91年1月イラク攻撃を開始し、同年3月目的をほぼ達成して終結した。その際の安保理による停戦決議(決議687、91.4.3)には、「イラクは国際監視のもと、大量破壊兵器及び射程150km以上の弾道ミサイル等の破壊、撤去又は無害化が無条件に為されること」が宣言されている。
(2)安保理による停戦処理
イラクは決議687を受諾して停戦が発効したものの国連の査察活動に対し虚偽の報告をするなど停戦条件に違反、ついには98年12月国連査察団を退去させるに至った。この間及びその後も、安保理はイラクに対して十数回に及び停戦条件の遵守について勧告を繰り返したが、実質的には無視された状態が続いていた。
(3)ブッシュ ドクトリン
2001年9月11日の同時多発テロをきっかけに米国は新しい戦略を模索していたが、国際テロ組織やならず者国家などの新たな脅威に対しては従来の抑止概念が適用できず、自衛権の延長として、攻撃される以前の先制攻撃が正当化できるという考えに傾き、2002年9月20日「アメリカの国家安全保障戦略」として発表した。その骨子は、@テロリストや独裁者の脅威から平和を守る、A大量破壊兵器の入手、使用を試みる組織の撲滅、B自衛権行使で先制の単独行動をためらわない、C自由市場と自由貿易で経済を発展させる、D圧倒的軍事力の堅持、というものである。
(4)安保理の活動
米国は新たな戦略に基づき、停戦条件である大量破壊兵器の廃棄を実行しないイラクに対して厳しい態度を表明し、国連とはかかわりなく単独ででも自衛行動が取れるとしていたが、諸般の事情を勘案して、国連がイラクに対して断固とした態度を示すことを要求した。安保理はイラク問題を改めて討議の上、次のような内容の決議1441(02.11.8)を全会一致で採択した。@イラクはこれまでも、また依然として、大量破壊兵器の廃棄等を定めた決議687を含む関連安保理決議に違反している。A武装解除の義務を遵守する「最後の機会」を与える。Bイラクの申告に虚偽や省略があった場合及びイラクが決議の履行、実施のための完全な協力を行わない場合には、更なる「重大違反」があったとみなされ、安保理に報告され、安保理はイラクに対して継続した義務違反の結果として「深刻な危機」に直面すると警告してきたことを想起する。
国連はイラクに対する査察活動を再開したが遅々として進まず、査察を打ち切って武力制裁(停戦解除)に移行すべきとする米英と、査察を継続すべきとする仏露とが安保理で激しく対立するに至った。米国はもともと、イラクに対する攻撃開始に安保理での新たな決議は不要としていたが、英国の国内事情への配慮と、可決できればベターとの考えから新たな決議案の提出に同意した。しかしながら仏露の態度は硬く、可決の見込みが立たない状況が続いた。
(5)米英の決断と武力制圧
米英は決議1441に係わらずイラクが依然として査察に協力しないことに態度を硬化させ、@1441はイラクの687違反を認定している、Aイラクが687に違反している以上停戦は不成立、B停戦不成立なら678により武力行使継続が至当との論法により、イラク攻撃は国際法的にも合法だとの立場を明らかにすると共に、新たな決議の可決には時間がかかり季節的に極めて不利になることからその決議案を撤回し、2003年3月20日攻撃に踏み切った。
戦闘はおよそ3週間でバグダッドが陥落して決着し、米英は戦後処理に着手した。
イラク戦争(第2次湾岸戦争)は安保理での意見が対立したままで実施された。このことが安保理の将来に影を落としたことは否めないが、今後安保理は活動の場を失っていくのかどうかを含めて次項で検討してみたい。
4.安保理の将来と日本の進むべき方向
(1)イラク戦争と安保理に関する問題提起
安保理による新たな決議なしでの武力行使についての意見を、安保理に関する問題提起の意味で新聞から拾ってみる。
○青山学院教授 伊藤憲一氏の意見(産経新聞03.3.11)
そもそも第2次大戦の戦勝国体制である国連が、普遍的な理想を体現する組織だなどとの幻想を日本はそうそう捨てるべきだ。国連の新決議なしに米英がイラクを制圧したことで、国連は急速に国際連盟と同じ道をたどるであろう。日本は安保理常任理事国入りなどの無駄な努力をやめ、米英などとともに国際新秩序形成に参画し、その主要国になる努力をすべきだ。
○京都大学教授 中西輝政氏の意見(産経新聞03.3.21)
今回の安保理の混乱は、冷戦終結後に構築されたかに見えた「国連中心の国際協調体制」が、虚構であったことを明確にした。これは単に安保理常任理事国の拒否権や、国力を無視した一国一票の多数決制など国連の制度上の問題にとどまらない。「国家は良くも悪くも国益にしたがって動く」という国際秩序・外交の本質を無視した国連の存在そのものの矛盾を露呈させた。
今後国連は安全保障上の影響を急速に失うだろう。同時に北大西洋条約(NATO)や欧州連合(EU)などの国際枠組みも大きな変化を迫られると思われる。
代わりに増えるのが、国益や責任能力が一致する国家間の同盟関係だ。これが国連に代わってネットワークを形成し、新しい国際秩序を形成していくと思われる。
○拓殖大学教授 森本敏氏の意見(産経新聞03.3.27)
国連は最早、第2次世界大戦後半世紀の役割を終わった。このような国連を今更、立て直してみても意味はない。
冷戦後の国際秩序は価値観を中心とする構造になりつつある。どのような価値観を国際社会の秩序と繁栄の基準とするかを慎重に選択し、米国、英国、日本など自由、民主主義、自由経済に基づく繁栄といった基本的価値観を共有する諸国間で、国際連合ではなくて、民主自由連合を結成する時期が来ている。
(2)米国の政策
米国は、ブッシュ政権の登場(2001年)によって従来の安全保障戦略を大幅に転換させた。ブッシュ政権は選挙中から国際環境の変化や新たな脅威等を綿密に分析したうえ、周到な準備の下に新たな戦略を構築しつつあったが、9.11同時多発テロがそれを更に加速し、すでに3(3)に記したブッシュ ドクトリンに結実させた。これは次のような認識に基づいている。
冷戦終焉以来すでに十年以上を経過し、この間に国際社会の戦略構造が大きく変化した。「恐怖」の均衡が消滅した結果、地域での覇権を目指す国家が台頭し、地域での安全を乱す要素となっている。更に9.11事件のように、非国家主体(国際テロ組織等)が国際政治の面で大国以上に安全保障上の脅威となる事態が生じている。特にソ連崩壊の過程で、大量破壊兵器とその運搬手段の拡散が進み、もはや拡散を完全に防止することは極めて困難であり、それらが地域での覇権を目指す諸国家や、いわゆる「ならずもの国家」によって使用される可能性もある。
米国はこのような認識の下に前述の新しい国家安全保障戦略を定め、今回のイラクに対する厳しい態度に転じたものである。今後米国はこの戦略に基づき諸政策を決定していくであろうが、イラク攻撃が安保理の新たな決議を経ずに為されたことを理由に、国連を軽視した安保政策へ移行すると見るのはいささか性急過ぎる。
米国の今回の断行には、一方に自衛のためという大義名分があり、他方に、イラクが湾岸戦争停戦後12年の間に十数回に及ぶ安保理決議違反を繰り返したことに対する最後通告相当の決議(決議1441)があったことを軽視してはならず、この条件の下での決断であったことを忘れてはならない。
(3)安保理の将来と日本の進むべき方向
a.米国が現実に実行する政策
米国は英国の強力な支援の下、安保理の新たな決議を経ずにイラク攻撃に踏み切ったが、前にも触れたように、それは決して恣意的な選択であったと評価すべきではない。今後、自国の安全に直接影響を与える事態が起これれば同様な選択もありえようが、その紛争が世界的な反米感情を増幅する恐れのあるもの、或いは民族間の紛争(文明の衝突)へ転化、発展する恐れのあるものについて独自でこれにあたるという愚は犯すまい。米国は、自衛権行使のための単独行動を除いては敢えて安保理軽視に走るとは思われず、むしろ軍事超大国としての自覚から、世界平和維持の責任を果たすため安保理を出来るだけ活用することに努めるのではなかろうか。
米国はイラク攻撃開始のための新たな決議が得られなかった事実に鑑み、安保理に依らない別のやり方を模索し始めている。今後は一方でこの新たな国際秩序作りを試みつつも、他方では安保理を利用できる問題については大いにそれを活用すると見るのが自然ではなかろうか。
b.安保理への過大な期待の戒め
冷戦の終結により「歴史の終焉」とか「民主主義の勝利」といった歯切れの良い言葉が横行し、安保理が世界の平和と安全に関わる本来の機能を発揮する時代が到来したかの観を呈した。しかし現実には、イデオロギーの対立を中心とした緊張が消えた反面、文明や民族、宗教といった人間の帰属する思想などを対立要素とする問題、或いはテロや大量破壊兵器の拡散及び人道、環境、貧困、といった多種の問題の顕在化に伴い、政治的な対立が頻発して、安保理は立ち往生する場合が多いというのが実態である。これは国連及び安保理の機構そのものに起因する必然的な姿といってよい。最近の安保理軽視論の横行は、冷戦終結と湾岸戦争の成功が国連に対し大きな期待を抱かせ過ぎたがための、反動と見るのが正しい。
冷戦前後を通じてこれまでに安保理が憲章第7章による国連軍を編成して国際の平和と安全を回復させた例は一度も無いし、今後も期待できない。これに代わって登場した現実的な方法が、加盟国の武力行使を容認するいわゆる多国籍軍方式であった。この方式の適用は、湾岸戦争のような一見明白な侵略事態であれば問題ないが、紛争の多くは各国の利害が絡み合って意見が一致しないので簡単にはいきそうにない。今後も意見の一致が期待できる場合は当然活用されるだろうが、そうでない場合も意見の一致へ向けた努力が為されるだろう。そしてまた従来同様、本会議や事務総長を活用して緊張拡大を抑制する試みも為されるものと思われる。
国連憲章が目指した安保理の機能がそのとおり働くと期待するのは土台無理な話である。それでも世界各国は今後、過大な期待を戒めつつも紛争の解決には国連、とりわけ安保理の活動に期待を寄せ、主要国もまたその活用に努力を傾けるというのが、今後の安保理の姿であろうと思われる。
c.日本の進むべき方向
従来から国連自体が各種の問題を抱え、その改革が具体的に検討され始めてから長期間を経ているのに、未だに遅々として進展していないという背景もあって、今回のイラク戦争を契機に国連不信論が一挙に高まった。しかしながら国連に代わって全世界を包含する新たな組織(例えば森本教授の言う「民主自由連合」)を現実に結成できるかといえば、それは先ず不可能だろう。世界の中に対立するいくつかの連合が存在するというのでは意味がないし、やはり国連を土台にいろいろな運営の仕方を工夫していくしかない。国連憲章の改正は、日本の憲法に似てなかなか困難のようだ。しかし第7章の国連軍に代えて多国籍軍を考案したように、工夫すればいろいろなやり方が生まれてこよう。イラク戦争で多国籍軍を成立させ得なかっただけのことで、安保理はもうだめだというのは性急過ぎる。むしろ今回のイラク戦争で国連がうまく機能しなかったことが教訓若しくは刺激となって、従来から検討されている国連改革問題のいくつかが進展する可能性もある。
日本には国連を美化し正義の中心的存在と見る幻想があった。この際これを改めるべきは当然であるが、国連に代わる世界的統一組織を生み出す可能性がない以上、国連の改善に努めつつ、出来る限りこれを活用するというのが本筋だろう。今回のイラク戦争で日本(小泉内閣)が国連よりも日米同盟を重視する姿勢をとったのは誠に正しい選択であった。しかしそのことが直ちに今後は日米同盟主体で行動すればよいということを意味するものではない。国連幻想は論外として、これまでに国連の場で解決できたいくつかの紛争を教訓にしつつ、日本と諸外国との外交関係への影響及び日本の国益を考慮に入れながら、出来る限り国連を活用する体制を整えていくというのがこれからの日本が進むべき方向である。更に紛争の性格によっては、日本こそが中心となって活動すべき場の出現も予想される。サミュエル・ハンチントンが最近の著書「引き裂かれる世界」で述べた次の指摘は、傾聴に値する。
「日本という国は、世界でも他にない位置を占めている。・・・・・アラブの観点から見ると、日本は西欧ではなく、キリスト教でもなく、地域的に近い帝国主義者でもないため、西欧に対するような悪感情がない。イスラムと非イスラムとの対立の中では、結果として日本は独立した調停者としての役割を果たせるユニークな位置にある。また両方の側から受け入れられやすい平和維持軍を準備でき、対立解消のために、経済資源を使って少なくともささやかな奨励金を用意できる好位置にもある。ひと言で言えば、世界は日本に文明の衝突を調停する大きな機会をもたらしているのだ。」
あとがき
イラクを武力により短期間で制圧できたことから、国連を無視する米国の新保守派(いわゆるネオコン)がますます勢いを増すという観測がある。そして日本国内では、次は北朝鮮がイラク同様の仕打ちを受ける番だとする予測が広がり始めている。理由は、米国が安保理を相手にしなくなるからだという。しかしそれは余りにも短絡的過ぎる。イラク戦争の場合は1441に至るまでの17の安保理決議があったことを忘れてはいけない。国連で、基本的にはイラクを悪とする合意が存在していたのだ。北朝鮮の場合は全てがこれからだ。他国を無視して一切単独で取り仕切るだけの力は米国といえども持ってはいないし、またそのような愚を冒す米国でもあるまい。北朝鮮問題は相当の紆余曲折を覚悟する必要がある。(2003.5.3記す)
参考文献
1.「国連の可能性と限界」モーリス・ベルトラン、訳/横田洋三・大久保亜樹、国際書院、1995.5.20
2.「国際連合―その光と影―」明石康、岩波新書、1985.12.20
3.「国連と日本」川辺一郎、岩波新書、1994.1.20
4.「新国連論」神余隆博、大阪大学出版会、1995.8.1
5.「引き裂かれた世界」サミュエル・ハンチントン、訳/山本暎子、ダイヤモンド社2002.11.13
6.「ブッシュの戦争」ボブ・ウッドワード、訳/伏見威蕃、日本経済新聞社、2003.2.24
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