基本研究報告書第8号
シビリアン・コントロールに関する研究
平成13年1月
財団法人 ディフェンス リサーチ センター
4.米国におけるシビリアン・コントロールの進展とわが国への影響
5.これからのわが国におけるシビリアン・コントロールのために
第4章 わが国の国家レベルにおけるシビリアン・コントロールの状況
この研究は、DRCにおいて自主的に行われる基本研究の一環として、DRCに所属する研究委員等7名の手により実質約1年の歳月をかけて行われたものである。当初、平成11年秋、本研究に関して防衛庁内局から研究実施の可能性について打診があり、検討の結果、この問題はひとり防衛庁内での対応にとどまらず、今後日本全体での安全保障対応を本質的に見直していく上で極めて重要な課題であることが認識され、とりあえず研究チームを組織し、3カ月の事前研究に着手した。その後、防衛庁の委託研究についてはすべて入札制度がとられ、残念ながらこの時点でDRCが受託するには至らなかったが、引き続きDRC内で自主的に研究を鋭意継続し、関連事項についても幅広く調査研究を実施することとした。
即ち、当初、研究の可能性、範囲等を検討する段階で計画した有識者へのアンケート調査及び諸外国(スウェーデン、ドイツ、フランス、英国、米国)での実態調査及び研究討議については、本研究の重要性にかんがみ、自主的な基本研究においても予定どおり実行すべきであると判断し、その結果それぞれに所要の成果を得ることができた。
これまで「シビリアン・コントロール」と聞くとややもすると防衛庁内では何かシビリアンと制服の対立等をイメージに描き、このことが前面に出てくるため、逆にこれらには特に触れないでおこうとする空気も漂っているように見受けられる。本来、シビリアン・コントロールの問題は防衛庁内にとどまらず、国家として、国会、内閣をはじめとする中央省庁、地方自治体、最終的には国民全員に至るすべてに係わるものである。従って安全保障、防衛の問題を正しく理解し、その合意の上で背広、制服を問わず担当者がこれらを国民の総意に沿って実行していくためには、その基本となるシビリアン・コントロールの概念及び日本における問題点を一層明確にする必要があるということが、諸外国と論議を重ねた結果明らかになってきた。即ち、シビリアン・コントロールはそこから派生する多くの問題を含め、正に日本が直面せざるを得ない国際的視点からの安全保障、防衛の政策を具体化していくための根幹となる課題であることが研究を通じて明らかになったのである。
シビリアン・コントロールのあり方論は古くから理論としてあり、これを基礎に各国ともそれぞれの実状に応じた施策がとられているが、わが国の場合、戦前の制度は全く異なるものであり、戦後新たに米国の影響下に防衛政策が進められ、自らが国家政策の中でどうあるべきかの論議は必ずしも十分できない状態が続いてきたのが実状である。今後わが国が、自らの安全保障を自らの努力と戦略的発想によって推進すると共に、米国との安全保障条約の下においても日本が独自に協力体制を打ち出し、国際安全保障への貢献策を積極的かつ有効に進めていくため、敢えてこのシビリアン・コントロールに関する研究を具体的、実学的な立場から行ったものである。
本研究の重要な柱の一つとなったアンケート調査に御協力頂いた方々に深甚なる謝意を表すると共に、海外調査研究に御協力を頂いた各国在外公館の方々、質問に答えて頂いた各国国防担当官及び在日各国大使館武官、在日米軍関係者の方々に厚く御礼申し上げるものである。
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(1)概念の形成
ア.英 国
民主主義の母国英国において、その発展と不可分の関係で生まれたシビリアン・コントロールの概念を追ってみよう。
ピューリタン革命(1642)後、クロンウエルはチャールズ一世を処刑した後、1655年の反乱を機に軍事独裁化の方向をとった。そのため彼の死後、常備軍に対する強い警戒心が生まれ、以後今日に至るまで武力による政権は誕生していない。
英国においてシビリアン・コントロールの考え方が初めて法文化されたのは権利章典(1689.12.16)においてである。この権利章典は、ジェームズ2世と国会の抗争の結果制定されたものであるが、その中に次のような文言が挿入された。「平時において、国会の承認なくして国内で常備軍を徴集してこれを維持することは、法に反する。」こうして国王が国会の感情を無視して行動することは、もはや不可能となり、常備軍は国会のコントロール下に置かれることとなったのである。それ以後、このような文言は各種法令に繰り返し述べられている。
イ.米 国
18世紀独立前後の米国には、常備軍と民兵の2つのタイプの軍事力があったが、民兵は国民と一体と考えられたのに対し、常備軍は将と兵との間に明確な一線がひかれ、すこぶる貴族的だったことなどから警戒される立場にあった。当時の大陸会議(1776.6.12)による宣言では「平時における常備軍は、自由に対し有害なものとして避けられるべきであり、しかもいかなる場合であっても、軍は文民の権力に厳に服従し、かつそれによって統制されるべきである」とされ、シビリアン・コントロールの原則が明記された。独立宣言(1776.7.4)の中にも英国国王の罪状を並べた中に、「王は平時においては、我らの議会の同意なくして、常備軍を我らの間に留め、軍隊をして文権から独立せしめ、かつ優位ならしめた」という指摘があり、またバージニア権利章典(1776.6.2)、ペンシルベニア人権宣言(1780.3.2)及びマサチューセッツ憲法(1780.3.2)など諸州の憲法等に、常備軍の危険性と軍隊の文権(CivilPower)に対する服従が明記されている。独立戦争(1975〜83)終結後の大陸会議(1784.6.2)では、「平時における常備軍は共和政体に矛盾し、国民の自由にとって危険であり、それは一般に独裁制を打ち立てるための破壊的な道具に変わる」というエルブリッジ・ゲリーの意見が通った。
1778年に制定された連邦憲法では、シビリアン・コントロールという用語こそ用いられはしなかったが、文権優越の精神のもと、国民により選挙で選ばれる最高の文民たる大統領は、合衆国陸海軍及び現役に招集された民兵の最高司令官である(第2条2節)とし、また国民の直接選挙で選ばれた連邦議会のみが戦争を宣言し、陸軍を徴募・維持し、海軍を建設・徴募することができる(第1条8節)とした。
ウ.その他の国
フランスにおいては、人及び市民の権利宣言(1789年)で、人及び市民の権利の保証は公共の武力を必要とするとして、シビリアン・コントロールの萠芽が見られるが、時代によっては軍隊による政治への干渉もあり、それが確立されたのは第2次大戦終了後かなり経ってからである。
ドイツにおいても同様で、シビリアン・コントロールが本当の意味で機能したのは、ボン基本法制定後と言ってよい。1954年の基本法改正で再軍備条項を入れるとき、「連邦国防大臣は、軍隊に対する命令権及び指揮権を有する」と規定して、シビリアン・コントロールを明確にした(第65a条)。
(2)シビリアン・コントロールの概念
クラウゼウイッツは戦争の政治的本質を強調し、戦争指導における政治の優位を断固たる原理として掲げて次のように言っている。
「戦争を指導する最高の立場、即ち主要な方針がすべてそこから発するところの立場は、政治的立場より他にあり得ない・・・渾然として切れ目のない戦争計画は、かかる立場からのみ生ずる」
「戦争の要綱は必ず内閣によって、換言すれば軍事当局によってではなくて政治当局によってのみ決定されねばならない」と。
またハンチントンは、文民統制の精髄は政治上の責任と軍事上の責任とを明確に区別し、後者の前者に対する制度的従属にあるとしている。
これらに基づけば軍事は政治指導又は政治統制(PoliticalControl)に服すべしということになるが、その場合政治の主体が独裁者である場合も含まれる。クラウゼウイッツもハンチントンも、政治と軍事の関係の在り方を論理的に説明しているわけだが、それを直ちにシビリアン・コントロールの定義と見るのは過早である。
先に述べた英国と米国のシビリアン・コントロールの形成状況を見ると、そこでは明らかに市民主体の主張が中心になっていた。即ち権力者に対する国会のチェック(英国)、或いは軍隊という力の集団を、国民の選挙で選ばれた大統領の指揮下に置く(米国)ことである。シビリアンの意味にはそれが強く込められており、シビリアン・コントロールが現実には民主主義の発展と表裏一体で成長したことからも、市民が主体として在って、軍事はそのコントロールを受けるというのが本義である(実際には市民が選出した代表又は大統領によるコントロール)。
1997年の防衛白書では、「文民統制(シビリアン・コントロール)とは、民主主義国における軍事に対する政治優先又は軍事力に対する民主主義的な政治統制をいう」としている。
朝雲新聞社が、「日本の安全保障1972年版」で、シビリアン・コントロールに焦点を当てた章を設け、その中で、民主主義との関連を次のように結論付けているあたりが妥当なものと解される。
シビリアン・コントロールは西ドイツあたりではむしろ「政治指導」(PoliticalControl)の意味に理解されている。わが国においてもそういう見方がある。しかし、シビリアン・コントロール=政治統制と同一視してしまうと、「シビリアン」という本質が見失われてしまうであろう。そうすると、軍を統制する者は、軍人以外の政治家又は政治集団であればよいというふうにも理解されかねない。例えば、共産諸国におけるような政党による統制とか、背広を着た王による統制なども、政治統制の一種であり、ゆえにシビリアン・コントロールの広義の形態であるというように、拡張解釈される恐れがある。やはり、シビリアンというからには、それは一般市民というようなニュアンスがあるのであって、一般国民の中から選任されるということが前提条件となるのである。また、そこに、シビリアン・コントロールが、単なる政治原理でなくて、人間の生存に関する社会原理である所以がある。
シビリアン・コントロールの具体的な姿を、ルイス・スミスの著「軍事力と民主主義」により描けば次のようになる。
@政府の首長が文民であり、国民の大多数の代表者であること。国民に対して責任を持ち、法的又は政治的な手続きの通常な機能によって更迭され得ること
A職業軍人たる軍の首脳は、政府部内の文民の指揮下にあり、憲法に合致し、かつある統制を受けなければならないこと
B軍事機構の官庁による運営は、軍の計画のあらゆる段階を統合する文民の権威ある指示の下に行われ、またその文民自身も責任あるメンバーでなければならないこと
C国民によって選挙された代表者は、戦争の決定、軍事目的に供せられる資金及び人的資源に関して表決し、必要とされる緊急権限の付与等に関する一般的政策を決定し、この政策の実施に対して責任を有する人々に対し、究極的かつ一般的な監督権を行使しなければならないこと
D裁判所は、軍をして国民の民主主義的な基本的権利を保護する責に任ぜしめる地位にあること
これをわが国のシステムに当てはめてみると次のようになっている。
先ず第1の点に関し、政府の首長たる内閣総理大臣は、憲法第66条第2項により、文民でなければならず、また国民の代表者たる国会により指名される(憲法第67条)。更に、議院内閣制のもとに、内閣の国会に対する連帯責任(憲法第66条第3項)、衆議院の不信任決議による内閣の総辞職(憲法第69条)などの規定が設けられている。
第2に、自衛官の最上位にある統合幕僚会議議長並びに陸上、海上、及び航空の各自衛隊の隊務、隊員の服務を監督する陸上幕僚長、海上幕僚長、航空幕僚長は国務大臣で且つ文民たる防衛庁長官の指揮監督を受け、また防衛庁長官を補佐する(防衛庁設置法第27条、同法22条、隊法9条)。更に自衛隊員は、憲法と法令を遵守する旨の宣誓を行うことが義務付けられている(隊法53条、施行規則39条)。
第3に、軍事官庁としての防衛庁は、国務大臣で且つ文民たる防衛庁長官を長とし(憲法第66条第2項、設置法第3条)、国防の基本方針、防衛計画の大綱など国防の重要事項については、内閣総理大臣を議長とし、所定の国務大臣をメンバーとする安全保障会議に諮らなければならない(安全保障会議設置法第2条、同法第4条、5条)第4に国会と自衛隊との関係についてみれば、自衛隊の人員、組織、予算などが国会によって議決されるほか、防衛問題は、当然に各議院の国勢調査の対象となる(憲法第62条)。また自衛隊の行動上、最も重要な防衛出動、命令による治安出動、所定の国連平和維持活動への参加のための海外派遣(武力紛争停止の遵守状況の監視、緩衝遅滞での駐留など)は、国会の承認を得なければならない(隊法第76条、同法第78条、国際平和協力法第6条)。
そして最後に、憲法は司法権の独立を保障している(憲法第76条第3項)。
なお、わが国では、防衛行政及び軍事力運用の細部に至るまで、文官が制服(武官)をコントロールするのがシビリアン・コントロールの概念であると誤解する向きがまま見られたが、これについては問題点を指摘する箇所で取り上げることとする。
2.シビリアン・コントロールの意義
(1)軍事力の恣意的行使の防止
人間は本来利己的で、権力を乱用する属性を有する。それゆえ、各種の制度的枠組みによって国家権力の恣意的行使に歯止めをかける必要がある。通常、立憲主義国家においては、基本的人権の保証、制限政府、責任政治、権力分立、司法の独立などが制度化されている。
国家権力を支える装置としての軍事力は、ともすると恣意的に行使される危険性を内包している。国民はそのような恣意的行使から保護されなければならない。このような武力の専断的行使からの抑制にこそ、文民統制(シビリアン・コントロール)の意義がある(小堀司「文民統制の憲法学的研究」)。
(2)軍事力を正しく行使するための担保
文民統制が何故必要かについて、西岡朗著「現代のシビリアン・コントロール」は、次の3つを挙げている。
@政治における武力の影響力の排除
A国民社会における政治部門と軍事部門の間の統合調整
B専門技術的職能集団としての軍人の視野と能力上の限界
シビリアン・コントロールは軍事が政治の一手段として扱われることを保障するものである。政治文化が低度の国においては文民政治家の正統性に疑問が生じ、軍が政治に介入することを国民が許容する事態も起こり得るが、わが国のような高度な国においてはその恐れはない。但し、国際間の緊張が高まり、文民政治家が過剰な反応をするようなことがあれば、その専門的知識の不足ゆえに、軍人の政治への介入を許すことが絶対にないとは言えない。また国際間の緊張の度合いによっては強力な軍備を維持することが必要となり、「国家の中の国家」が出現する恐れも皆無というわけではない。シビリアン・コントロールの制度だけに頼るのではなく、政軍両者の人間的能力の向上をも合わせてその実を上げる努力がなされないと、シビリアン・コントロールによる正しい政治の保障が崩れることも有り得る。
西岡氏がシビリアン・コントロールの必要理由の第3に挙げた、軍人の視野と能力上の限界は、理由というよりシビリアン・コントロール運営上の留意事項と言うべきだろう。何故なら、視野の広い能力のある軍人が多数存在する場合も有り得るから。
(3)民主主義的合理性
国民に選ばれた者によって国の進む方向を決定して行くのが民主主義のやり方である。仮に軍事力の行使に関し、大統領なり首相の決定が結果的に間違っていたとしても、究極的にはそれは許されることである。何故なら、民主制度下において大統領なり首相は、責任を取る資格と決定権を合法的に認められているからである。国民は、自分たちが選んだ大統領・首相である以上、結果的不利益を甘受すべき道理がある。これが、国民の選んだ代表ではない軍事専門家等が、国の運命を左右するような軍事力行使を行った場合であれば、先ず軍事専門家等には責任を負う資格が無い上、国民には不利益を甘受すべき理由もなく、不合理極まり無いことになる。
このように、シビリアン・コントロールには、民主主義制度下の合理性の保持という機能が備えられていると言える。
(4)隊員の士気
自衛官は命令によって行動する。命令は、政治的な理由により軍事的合理性を犠牲にせざるを得ない場合もある。その際、シビリアン・コントロールが正常に機能したうえでのことであれば問題はないが、専門的知識の活用不足などから起きたような場合には隊員の士気を削ぐことになる。
事に臨んでは身の危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえようという隊員の使命観は、国民の負託が正当な手続きを経て伝えられることを前提とする。即ちシビリアン・コントロールが正常に機能し、特に国会及び総理大臣等が、軍事を正当に理解したうえでの命令であることを要する。シビリアン・コントロールそのものが、隊員の国民の負託にこたえるという実感と一致することにより、それは真の力を発揮する。
逆に軍人の政治への介入は隊員の士気を阻害する。上官による軍事的合理性を追及する余りの独断措置が時として受け入れられる恐れもあるが、国民に選ばれた者による決定ではなく、軍人によるオリジナルな発令であればこれに疑義が生じ、隊員の士気が乱れることになる。
M.ジャノビッツがその著「新興国と軍部」で指摘した次の言葉は示唆に富む。「職業軍人に対する政治的統制の良否は、最も文民化された軍事機構の良否ではない。・・・文民支配の実態よりも、文民支配に快く服そうとする気持のほどが、一番決定的な意味を持つ」
(5)シビリアン・コントロールの限界
シビリアン・コントロールの制度が発達している米国でさえ、ベトナム戦争のような失敗は起きる。太平洋戦争における日本では、軍人だけがその推進者だったわけではない。国際関係が緊張し、国民の注意がナショナル・インタレストに集中すれば、過激に走る文民も現れれば、軍隊に対する過度の期待も生まれ、政治に介入する軍人の出現もあり得る。軍事力の行使を推進するにせよ抑制するにせよ、文民が軍事をよく理解していないと失敗は避けられない。要は、国会が軍人や軍事専門研究機関(官、民)の意見をよく聴取して、文民と軍人が真に協力できるようにすることであり、制度が確立されているからといってそれにだけに安住すれば、その意義はたちどころに雲散霧消することを銘記しておくべきであろう。
1.軍事力統制の歴史
文民による軍事力統制の思想や制度を歴史的に見れば、イギリスでは17世紀に国王チャールズ1世が軍権を保有執行し、議会がこれを制限するという形で軍隊に対する民主的統制が始められている。「権利請願」(1628)や「権利章典」(1689)がそれであり、特に後者では平時に議会の承認なしに国内で常備軍を徴集し維持することは法に反すると規定している。またこの時制定された有効期間1年の「軍罰法」で議会の軍権掌握を前提として軍法が市民法に従属することとされたため、以来今日に至るまで毎年議会の承認なしには軍隊が維持できないことになっている。更に当時軍が市民の自由と権利に対する脅威となっているという認識から、市民が武器を所持する権利をも認めていたのである。
イギリスにおいては、公務員は自国内における主権者の召使いであるとされ、国家の主権は第1に下院の多数派によって、第2にその多数派が行政権を賦与する政府即ち内閣によって代表される。更に公務員は何ら政治を行わないものとされており、政府と公務員との間には一種の暗黙の契約が存在している。即ち公務員は政党にかかわりなくすべての合法的政府に忠実に仕えることが期待されており、また政府のほうはどの政党に共鳴していると考えられるかにかかわらず、どの公務員にも自己の信頼を与えることが期待されている。公務員規律が強固なイギリスではこのことはほとんど普遍的な事実になっていると言ってよい。このことは軍人が主権を代表する議会及び内閣に対して忠実であることが求められていることを示している。
フランスにおける武力統制の思想もイギリスと同様であり、フランス大革命の「人権宣言」(1789)で、人及び市民の権利を保障するために必要な武力はすべての者の利益のために設けられるもので、それが依託される人々の利益のために設けられるものではないとしている。このようにして1791年憲法では、宣戦、講和の決定、陸海軍の毎年の兵力量や軍人の諸規則の議決などは議会の権限に属することと定められたのである。
これらの思想はアメリカの独立にも大きな影響を与えており、バージニア州の「権利章典」(1776)において文権の支配に関し、平時の常備軍は自由にとって危険なものであり、いかなる場合においても軍隊は文権に厳格に服従しその支配を受けなければならないとした。
1787年制定のアメリカ合衆国憲法では、軍事に対する民主的統制について、議会の権限を戦争の宣言、捕獲の免許及び規則の設定、軍隊の募集・編成・維持、海軍の建設と維持、陸海軍の統制及び規律に関する規則の制定とし、大統領の権限を合衆国陸海軍及び軍務に服する各州民兵の総司令官としたのである。
独立宣言を起草した第3代大統領ジェファーソンは就任演説(1800)でシビリアン・コントロールを、「軍部に対する文民の優越(SupremacyofCivilovertheMilitaryAuthority)の確立・維持」としており、これがアメリカにおける現在までの軍事力統制の基本となっているものである。
欧米諸国における近代民主主義体制の普遍化と充実に伴って、国家の権力構造は次第に変化し、当初の君主と民選議会との二元主義型から国民主権を基礎とする一元主義型へと発展していった。即ち国王や大統領という元首の権限が名目化していったことから、元首の軍権に対する議会の制約という形態が生じ、国民主権の確立による議会と内閣の正統性が議院内閣制による一元的権力構造を正統化することとなるのである。そして更に、議院内閣制をとる国家においては首相と内閣の政治的指導性が政党政治の所産として次第に強化され、軍司令官や参謀たちは軍事的行政官僚組織の一員としての役割に限定され、軍隊に対する議会優位の原則によって政治統制が強調されることとなってきたのである。
しかし国家や政権が危機に直面したときには、民主主義国家においても時の政治権力は存立の維持基盤を軍に依存することが多い。
第1次世界大戦末期には、ドイツ国防軍はルーデンドルフ将軍による軍事独裁の下にあって政治の主導権をも把握していた。また第1次世界大戦敗戦直後のワイマール共和国初期のゼークト将軍率いる国防軍はエーベルト大統領に対して「国家の中の国家」としての独自性を要求し、秘密協定によって政府と対等の地位を確保し、政治権力による支配を拒否する力を持っていた。しかし第2次世界大戦時には、首相ヒットラーが国民投票における90%の得票率によって大統領に就任すると共に国防軍総司令官を兼務し(1934)、国家元首として政治と軍事を併せて戦争指導を行うこととしたことにより、ゼークト以来の伝統であった国防軍の政治的独自性は存在しなくなった。ドイツ国防軍はヒットラーに絶対の服従を誓っており、破滅の危機に瀕した戦争末期にも軍首脳によるヒットラー完全独裁への反抗の試みは失敗に終わっている。
一方ソ連では、スターリンが1937〜38年にかけてトハチェフスキー元帥以下将官の9割、及び大佐の8割を含む赤軍現役将校2万〜3.5万名を反逆者として粛清処刑し、軍組織内に政治委員を配置して軍を党の支配下に置くことに成功したことから、党による政治と軍事の完全統制権が確立された。軍事機構の最上位に政治コミサール又は軍事コミサールが参加する軍事会議と呼ばれる管理統制機関を置いて党の軍事管理を実施したが、大戦中には二元制を廃して単独責任指揮制を導入したこともあった。しかしいずれにせよソ連赤軍は指揮或いは思想、忠誠といった精神面においても専制党の支配下に置かれていたのである。
このようにヒットラーやスターリンなどを初めとして、現代の発展途上国の一部においても見られるような独裁的政治権力は国家全体を支配し、軍隊をも完全統制する体制を構築するものである。しかしこのような政軍間の厳格な支配隷属関係は命令と服従の関係だけが存在するのであって戦争など国家の非常事態においては必要とされる体制であろうが、現代のいわゆるシビリアン・コントロールと言われるような政治指導者が国家の重要政策である適切な安全保障政策の確立やその運用、最高軍指揮官の任免という軍隊の中核的コントロールを行う政軍関係とは異なるものである。
第2次世界大戦後のドイツ(旧西ドイツ)では、最も民主的な憲法を有したワイマール共和国が形式上合憲的にナチス全体主義体制へ移行した深刻な体験から、降伏後の米英仏ソ4国政府による分割支配(1945.6)と占領軍による完全非軍事化(1945.8)を経て成立したドイツ連邦共和国基本法(1949.5.23)に、自由な民主的基本秩序即ち人権、国民主権、3権力の分立、政府の責任、行政の合法性、司法の独立、政党の合憲的設立と野党活動の権利を伴う政党の機会均等などを基本的原理として規定し、あらゆる暴力支配と恣意的支配を排除し多数意見に従う国民の自決と自由平等を基盤とした自由な民主的基本秩序を基盤とする法治国家を目指すこととなった。
しかし東西対立の結果から発足した北大西洋条約機構(NATO)(1949.4)の存在と朝鮮戦争の勃発(1950.6)はドイツの再軍備を促し、「欧州防衛共同体の創設に関する条約」(1952.5.27)によって欧州防衛軍への参加としてこれが実現された。しかしドイツ軍に関しては執行・監督機関である欧州防衛管理局によって完全にコントロールされることとされ、いわゆる「ドイツによらざるドイツ再軍備」であった。特に核兵器、化学兵器、生物兵器、長距離ミサイル、誘導ミサイル、感応機雷、大型艦艇、軍用機については管理局全員一致の決定によらない限り禁止の解除はないとされた。アデナウアー首相は条約調印に際して、これら兵器の生産・所有・輸出入等を禁止し、非軍用航空機製造も行わないとの書簡を発している。そして欧州防衛軍はNATO軍司令官の指揮下に置かれ、共同体統合による軍政と軍令によってドイツの軍事力の脅威を防止することとされたのである。
「パリ協定」(1954.10,20)によって米英仏3国による占領が終結し、西ドイツは主権を回復して拡大西欧連合及びNATOへの加盟(1955.5.6)が認められたが、拡大西欧連合での軍政は部分的制約となり、軍令は国際的な管理下に置かれることとされた。また軍国主義復活への懸念からの各種の保障措置は引き続き維持されていた。即ち先に示した核兵器ほかの兵器の製造保有は引き続き禁止されたのである。
1955.6.7国防省が設置され、1956.3.19ボン基本法改正及び軍人法、同7.21兵役義務法が制定されて西ドイツの再軍備に関する軍事法制が整えられたが、連邦軍の設立に際し、自由な民主主義体制の中での軍隊の位置付けについてアデナウアー首相の声明(1958)は、連邦軍は執行権の一部であり、政府に従属し、議会統制のもとに置かれ、「政治の優位」に従うものとしている。本来軍隊の秩序は命令と服従の上下関係に基礎をおいているが、民主社会は自己責任と自決を基礎としていることから、それぞれ相容れない要素を排除できないが、議会統制は連邦軍への不信の表明としてではなく、民主制のもとでの権力分立原則の自然な表現と考えられたのである。即ち、ドイツにはシビリアン・コントロールという概念は存在せず、議会統制ないし政治優位の概念があるが、これは議会による執行権の統制としての軍の統制であり政治の優位であって、国防省内部における文官の軍人に対する統制や優位を正当化するものではないとされている。更に自由な民主的基本秩序の維持ということから、軍隊を指揮監督する政治統制の主体は民主的政体そのものであって、当然の政治的原則として民主的統制が行われることとなっているのである。
更に他の政軍関係についてはチリとフランスにおける政変の例がある。1970年チリ与党キリスト教民主党は司法、立法、行政の独立と共に軍と警察の独自性を認めることによって民主主義体制の維持を図ろうとしたのに対して、人民連合のアジェンデは政党ではなく大統領が軍司令官の任命権を占有することを条件にして大統領に選出されたが、結局軍部のクーデターによって政権崩壊に至っている。これと反対に、1969年のフランスではドゴール大統領は最初に軍部の支持を取りつけることによって五月革命の危機を収拾している。
世界で唯一の超大国として、政治力や経済力と共に軍事力を国益の確保と国際紛争解決の有力な手段としている現代のアメリカにおいては、歴史的に文民たる大統領と国防長官による軍事力統制の制度が確立されているが、軍は社会に大きな影響を及ぼす存在となっている。即ち、現在(FY2000)のアメリカにおいては、陸軍(48.0万人)、海軍(37.2万人)、空軍(36.1万人)、海兵隊(17.2万人)の現役兵力量(138.5万人)は膨大であり、海洋国家の特徴として海・空軍の比重を大きくしたその軍事力は世界一である。更に予備役兵力(86.5万人)も強力である。また大学・高校に置かれているROTC(ReserveOfficersTrainingCorps)は重要な将校供給源となっている。更に18歳以上の男子の40%以上にも達すると見られる退役軍人(退職年金を受けている者だけでも約200万人)の組織の多くは軍を支援する立場での政治的影響力を持っている。また文官職員が現役兵力の約半数(70.0万人)も存在し、原子力委員会など国防関連機関勤務の連邦公務員も12万人を数える。軍事産業の従業員は350万人にも上るとみられている。即ちアメリカ社会において軍は大きな影響力を持った存在となっているのである。
2.軍事力統制の制度
イギリスにおける軍事力統制の政治制度としては、行政府においては、第1に文民で構成された政府首脳部が国民に対して責任を有すること、第2に軍首脳部はこの文民政府の指導の下にあること、第3に軍部の運営は内閣の一員である文民即ち軍事担当相の指示によることである。立法府においては、第1に和戦の決定、緊急事態における権限の付与などを行い、第2に軍事予算を票決し、第3に軍事政策の執行に対して究極的な監督権を行使できることである。司法部においては、第1に国民の民主的な基本的権利が軍によって侵害されるようなことがないよう軍の責任を追及できること、第2に軍人の権利や自由について管轄権を持つことであるとされている。また民主主義社会における軍事力統制においては、このような制度上の原則のほか、管轄上の能率性と軍事的適合性を考慮しなければ社会の安寧と平和の維持を害することとなる。具体的には、国防費の決定、装備品の取得の必要性、コソボ等外国への軍事力投入の可否などは議会による軍のシビリアン・コントロールである。またいろいろな場面における実質的な意思決定は憲法上の権限により首相が行うこととなっている。組織的には1964年に軍令の組織が改革され、統合と複合が進められたが、冷戦終結後は見直しが行われ、国防大臣(Secretary of State for Defence)は防衛調達担当長官(Minister of State)、3軍担当長官(Minister ofState)、及び副長官(Parliamentary Under-Secretary of State)という3長官の補佐を受けることとなっている。国防委員会及び上級管理機構は、国防大臣の下に副長官及びそれと同格で議会での答弁も行う参謀総長、以下文官の国防調達局長、軍人の国防兵站局長など文官と軍人の局長や各軍参謀長によって構成されている。
ドイツ連邦共和国においては、連邦軍は執行権の一部であり、政府に従属し、議会統制のもとに置かれる。連邦軍の任務についての基本法の規定によれば、国防の目的で設立された軍は、平時には抑止により安全と平和の維持に寄与すること、緊急時及び緊張時には出動態勢により政府と議会の行動の自由を確保すること、防衛事態に際しては自国及び同盟国の固有の領土を維持し又は侵略から回復すること、更に対内的任務として国内緊急時には自由な民主的基本秩序の防衛、民間の財産の保護、交通規制、武装叛徒の鎮圧、災害及び重大災厄事故に関し警察及び連邦国境警備隊を支援することとされている。
連邦軍に対する文民(軍歴の有無は問われない)としての連邦大統領の権限は、国家元首としての代表的機能即ち防衛事態発生についての議会による確認の公布、連邦領土への武力攻撃に際し議会同意による国際上の宣言(宣戦)に限定されており、軍事最高司令官の権限を国家元首に統合する最高司令権は大統領にはなく、軍への命令権・司令権は平時には連邦国防相に、戦時には連邦首相に付与されているのである。
また、かつて国王、ワイマール共和国大統領、及びヒットラー総統が有した軍事法令制定権は、現在においては大統領・首相・国防相のいずれにもなく、連邦議会にのみ付与されている。
連邦議会の統制権は連邦軍の兵力量と編成に関する立法権と予算権であり、防衛立法を扱う法務委員会、予算を審議する予算委員会、防衛に関する審議と調査を行う国防委員会、国防計画を審議する統合委員会、及び軍人の基本権の保護を行う補助機関としての議会軍事コミッショナー(Parliamentary Commissioner for the Armed Forces)(オンブズマン)を通じて議会による連邦軍の統制が行われている。
連邦議会は国家の緊張事態及び防衛事態の認定を行うが、連邦軍の配置展開については1994年連邦憲法裁判所の決定に従い、連邦政府は原則として先ず連邦議会の同意を得ることとされている。
基本法に定めるところにより、軍に対するソーシャルコントロールの制度として1956年から設けられたオンブズマンは、連邦議会議員の多数決で選出される文民政治家であり、議会の予算委員会・国防委員会・外交委員会における軍人でないメンバーとして配置されている(2,000年9月現在においは、初めての女性オンブズマンとして1995年以来クレイル・マリエンフェルド女史が指名されている)。
またオンブズマンは6つの制約事項として、職業としないこと、NATO同盟に関与しないこと、軍に対して責任をおわないこと、総合スタッフでないこと、軍の指揮官でないこと、行政に責任をおわないこととされている。オンブズマンはスタッフと共に連邦軍兵員の処遇・環境・勤務状況等について調査するため、事前通告なしに連邦軍のあらゆる部隊・機関を訪問することが認められており、関係機関及び関係者は求められた情報や資料のすべてを提供しなければならないとされている。これらの調査結果はオンブズマン年次議会報告として議会に提出され、一般公開も行われる。
文民である連邦首相の任務と権限は、主として防衛事態を中心としたものであり、有事における軍事力の最高管理責任者としての連邦軍の指揮権(命令権・司令権)を付与され、防衛計画と防衛事態における軍の出動態勢について責任を有し、政治の基本方針決定権と合わせ権力の統合が図られており、執行権限の一元化の達成によって事態の迅速な対応を行うこととなっている。平時にあっては軍事予算に関する政府原案を総括することで軍事に関与するが、軍人に関する人事権は与えられていない。
議会に責任を有する文民としての連邦国防相は平時における軍事力の最高管理責任者として連邦軍に対する指揮権(命令権・司令権)を有し、防衛計画と防衛事態における軍の出動態勢についての責任を有するという大きな権力を与えられており、国防省、連邦軍、陸海空3軍及び中央国防庁、中央軍医庁を指揮統括する。
また連邦国防相は国防予算案の編成を行うことで軍事力の管理を行うと共に、連邦政府白書、国防政策ガイドライン、防衛構想ガイドライン等の国防関連文書の作成・改定を通じて連邦議会に対する所要の政策的計画の要求を行う。
連邦国防省内の指導部は、連邦国防相、2人の政務次官、及び2人の事務次官で構成されており、要請により連邦軍参謀総長が参加することとなっている。軍人による補佐機関は、連邦軍参謀総長、陸海空3軍参謀長及び軍医総監によって構成される。
将官人事は連邦国防相専管事項であり、他の人事は人事局が担当する。人事局長ポストは当初文官に占められていたが、現在では文官と将官が交互に就任することになっている。これは、「政治の優位」は文官の人事局長によってではなく、連邦軍国防相によって保障されるべきであるとされたからである。
国防省内の軍人の地位は実質上文官とほぼ対等に位置付けられている。(現在、人事局長は軍人、他の5局長は文官で局次長は軍人)
国家としての防衛政策調整のために連邦安全保障会議が設置されており、連邦首相(議長)、連邦国防相(事務責任者)、内相、外相、蔵相、経済相、郵政運輸相がメンバーで、軍人である連邦軍参謀総長が参加する。
連邦軍参謀総長は総合軍事構想と連邦軍任務計画の作成・実施の責任を有し、連邦軍最高軍事代表者(最先任者)であるが軍事指揮権及び軍人に対する人事権はない。行政組織上は連邦国防省総局長相当とされており、他の陸海空3軍参謀長及び軍医総監と同一レベルに置かれているが、彼らに軍事行政指示権を行使し、自らが管理する中央国防庁、陸海空3軍参謀長と軍医総監が提出する各軍及び中央軍医庁の軍事予算を統括することにより軍事関与を行う。更に連邦大統領、連邦首相、連邦国防相への軍事的補佐任務を有している。
なお、2,000年9月現在連邦議会において審議中の21世紀にむけての連邦軍改革案によれば、軍事行政的管理と技術的管理の連接、作戦任務からの業務的任務の分離、及び統合軍責務の確立の三原則を通じての連邦軍指揮統制組織の一元化を図ると共に、連邦軍参謀総長に任務計画(Mission Planning)の策定と実行のほかに軍事計画(Force Planning)に関する責任を付与することで地位の強化を図るよう計画されている。
またドイツにおける文官と軍人については、軍の教育機関のトップはすべて軍人であり、大学(わが国の防衛研究所及び防衛大学校相当の教育機関を含む)は文官で構成されているがアシスタントとして軍人が配置されている。NationalMilitary Schoolの教官はすべて文官である。
フランスにおいては、各軍の参謀長は求めに応じて議会に出席することが憲法に規定されており、軍参謀総長には大統領及び首相の補佐官的性格が与えられている。コソボ紛争のような場合は、各軍の参謀長の意見を徴した上で大統領が出兵を決定し、統合参謀本部が作戦計画を作成する。大きな戦争の場合はしかるべき時期に議会に承認を求めることとされているが、小さな危機の場合は統合参謀本部内の緊急作戦本部で対応することとなっている。国防予算については、軍の運用要求は参謀本部で作成され、装備品についてはDGA(国防省装備庁:Délégation Générale pour l'Armament)が準備することとなっている。軍人と文官の関係は自然で中立的であるが、軍人による政治的発言は歓迎されない。
スウェーデンにおいては、軍の主要任務は、@軍事攻撃に対する防衛、A危機時における軍事的プレゼンスと国際法による領土の保全、B国際平和及び安全への貢献、C緊急事態における社会の強化である。冷戦の時代にはシビルソサエティにおける民間防衛と軍との間で任務分担の仕切りがあったが市民と軍人との間には強い信頼関係があった。冷戦後の今日は新しい防衛システムへの更新と近代化が進められており、国家防衛とヨーロッパの集団安全保障への貢献が任務の中心となっている。スウェーデン軍には統合参謀本部の組織はないがSupreme Commandが置かれており、軍のSupreme Commanderのみが議会に出席して軍の組織等に関する答弁を行っている。装備に関する要求は軍司令部から国防省に提出されるが、国防省においては戦術や作戦運用といった軍事的専門事項ではなく幅広い戦略的な議論を行って軍事予算を組んでいる。危機時においても文官と武官の間に優位差はないとされている。
アメリカにおいては、軍の将官は議会(上院)の承認を得て大統領によって任命され、時に政治的な関与が求められることがあるものの任免権者に忠誠を誓ってその職務を遂行することが通例である。
制度的には国防省における各機関で文官と軍人は相互に補完的な地位と任務を分担しており、優位差はない。また軍の教育機関や大学、民間企業の教育機関などでの相互の研修を通じて、文官と軍人はそれぞれ他の分野の知識を習得し、思考過程や意思決定過程を学び、相互理解を深めている。しかし国防省内における上級官僚と軍人の間の関係はあまり緊密ではなく政策実行面の具体的な内容の議論は十分とはいえない面もある。
冷戦終結の現在においては、軍事的脅威の拡大・拡散・複雑化にともなって、他国と同様に行政府における国家安全保障の所掌の不明確化が問題視されてきている。即ち今日の脅威は国防省だけで対応できるほど単純ではないのであって、国家間の戦争行為以前のことも含め、行政府全体或いは地方自治体や民間を含めた大規模な対応が必要とされるような事案が頻発しているのである。
軍事に関するシビリアン・コントロールの執行者たる議会議員たちのうち軍歴のある者はいまや5%程度に止まっていて、決して多いとは言えない状況にあり、軍事に関する知識経験が十分でないままに国家戦略や軍事予算の審議・決定が行われているのは他の諸国と同様であるといえよう。ただしあらかじめ資格審査を受けた軍首脳部の軍人が議会のいくつかの軍事委員会へ要請によって出席し、審議に必要な情報を提供し、意見を述べることによってコントロールの適正化が図られている。
アメリカの場合は、先に示したとおり古くからシビリアン・コントロールが政軍関係の中心課題であり、文民による軍の統制がアメリカの自由な制度と民主的な伝統を守る重要な要件とされてきた。その基礎は合衆国憲法にあり、議会の権限は軍事戦略と宣戦・和平の決定及び軍事予算の審議・決定、並びに指定された上級官僚及び将官の任免の承認について政治的な判断による諾否を行うこととされている。また軍の指揮は行政の長で最高指揮官たる文民大統領の権限とされている。更に各州が州兵を保持できることで連邦による軍事力の独占が抑制されている。この州兵National Guard(2000年度45.7万人)はほとんど現役に近く、通常State Governorの指揮により国内治安維持や災害救援等に出動するが、大統領及び国防長官のコントロールを受け、湾岸戦争など海外に出兵した例もある。
これらの規定のほか、政軍関係の具体化は国家安全保障法(1947)(’49及び’58同改正)の定めるところによっている。即ち安全保障のための包括的計画の策定、関係各省・機関による政策形成手続き、陸海空3軍省のシビリアン・コントロール下での調整と統一的指示の策定、3軍の効果的協力下の統合がその立法趣旨であり、これに基づいて国家安全保障会議(NSC)が設置された。その機能は国家安全保障に関連する内政・外交・軍事政策の統合について大統領に勧告することとされ、実質的にNSCが政策決定を行うこととなった。その構成は大統領(議長)、副大統領、国務長官、国防長官、財務長官のほか、顧問として統合参謀本部議長及び中央情報局長が、大統領の任命により陸海空3軍長官又は次官、司法長官、商務長官、予算局長、原子力委員長、3軍首脳等がそれぞれ参加している。NSCの運用については大統領によって異なるが、国家安全保障政策の形成は、実質上大統領が任命する国家安全保障担当特別補佐官によって進められているのが現状である。
NSCの監督下に中央情報局(CIA)が置かれた。その目的は国家安全保障に係る政府諸機関の情報活動を調整することであったが、次第に独自の活動を拡大し、財政と活動内容等を非公開とすることを中央情報局法によって保障されていることから他の制約を受けずに秘密活動を行うことが可能であった。本来CIAは機構的には軍との関係はないこととされているが、CIA長官には軍人も就任できることとなっており、軍との間に相互統制・指示をしないことを前提として軍人が就任することがあったため、ベトナム戦争当時にはCIAの指導を受けていたとされる陸軍特殊部隊グリーン・ベレーが誕生しており、政軍関係としてCIAの統制もシビリアン・コントロールの対象となっている。
国防長官は文民でなければならず、軍人であったものは現役退任後10年たたないと資格がないと定められていた(’49年)が、1945年まで陸軍参謀総長であったマーシャルが国務長官を経由して1950年に国防長官に就任しており、文民規定はゆるめられている。この文民たる国防長官の任務は、最高指揮官である大統領に対し国家安全保障に関するすべてについて主要補佐官となることであり、国家軍事機構及びそれに属する全省・部局の政策及び施策を定め指示と統一的権限の行使を行うこととされている。また統合参謀本部議長及び3軍長官が提出する各軍予算案を取りまとめ国防予算案として作成し